今宵逢う人みな美しき

綺麗なモブになりたいジャニオタの独り言

24時間テレビとSexy Zoneとわたし

 

「でも」という接続詞は、その言葉のあとにくるものを強調する為に使われるものである。

…というのは国語の教科書に載っていたことと思う。授業やテストで文章を読む時、それをポイントにして問題を解くことも教師たちに教わってきたはずだ。

冒頭から一体何の話をしているのかと思われることであろう。

 

わたしは24時間テレビのことが嫌いだ。嫌いだった。今回ここに書きとどめておきたい思いは決して24時間テレビの全てを称賛するものにはならないし、自分の中で少しずつ変化していった、パーソナリティの発表があった1月から運命の8月25日を迎えるまでにずっと考え続けたことを、ずっとずっと忘れたくないからここに書くことにした。

放送が始まる少し前から書き始めて、放送が終わった後に思いの丈を全てぶつけた。ほぼ勢いで書き上げたといっても過言ではないが、この気持ちを忘れないためにここに記しておく。

 

物心ついたころからこの番組のことが好きではなかった。いつどの時間を見ても、障害を持つ方と病気で既に亡くなられている方の話ばかりを放送して、スタジオにいる出演者がみなさめざめと涙を流している。わたし自身涙腺が丈夫な方ではないので、そういうものを見てしまうといつも泣いてしまうのだが、自分でもその涙が「どうして流れているのか」という説明が出来ない。いつも居心地が悪いまま涙が流れて、「わたしはどうして泣いているんだ?」「この話を聞いてわたしは涙を流すべき立場の人間か?」「一丁前に泣いてるけど、どういう立場でこの話を聞いているんだろう?」という疑問に苛まれて、「お前は何にもしてないくせに」という気持ちでいっぱいになっていた。自分で自分が気持ち悪くて仕方が無かった。

多分この感情があったから、平気で涙を流して「感動しました」とか「希望をもらいました」などとコメントをする人たちのことが嫌いだった。心底気持ち悪いと思っていたんだろう。と、今は思う。

今でもその感情は変わらない。たまたま自分が健常者として産んでもらえて、大きな事故や病気もなく偶然ここまで大きくなれただけの話で、はっきり言って「運が良かっただけ」。こういった番組がなくたって、人間は他者に対する"理解したい欲"というものを失ってはならない。目に見える違いも、見えない違いも。

 

世の中には「感動ポルノ」という言葉も生まれていた。障害を抱えて生きている人たちがどうしてそうなったのかという経緯を見て涙を流して、「感動しました」「生きる励みになりました」とコメントをするところまでが一連の流れで、本人の発する言葉は二の次で"障害があっても負けずに頑張っている"という姿に感動する、またはそういった事柄をメディアで取り上げる行為のことを指している。2012年にオーストラリアのステラ・ヤングがウェブマガジン『Ramp Up』で用いた言葉だ。

ああ、これだ、とその言葉を知った時は素直に思った。納得した。わたしの中にあった「気持ち悪い」という感情は、ステラ・ヤングの提唱した「感動ポルノ」という概念で全て説明出来てしまう感覚だったのだ。

 

だって、とても気持ちが悪い。運よく健常者でいられるだけの人間なのに、たまたま大きな病気をしなかっただけなのに、別に日頃他者との共存について考えたりもしないくせに、そういうVTRが流れた時だけ「かわいそう」「大変だったね」などという言葉を口にして涙を流して。お前が一体いつ車椅子生活を送る人との生活を考えた?街中で白杖を手に歩く人との生活を考えた?耳が聞こえなくて手話で会話をする人と、身体にではなく精神に障害を抱える人と、例えば指がない人を指をなくした人を、足がない人を足をなくした人を、いつお前が考えたっていうんだ。普段考えたり理解しようとしたりしないくせに、こういうときだけ「みんな頑張って生きてるんですね」って、お前は何様なんだ?

そんな気持ちばかりで、年々24時間テレビに対する思いはヘイトの感情でいっぱいになっていった。

 

病気で幼い子供を亡くした親へのインタビューも、若くして親を亡くした子供へのインタビューも、正直理解に苦しむ。その人にとってその傷がもし癒えていないのだとしたら。その人が大切な人の「死」という出来事を消化できていないのだとしたら。VTRで涙を流すお母さんやお父さん、子供を見るたびに疑問を感じていた。

わたしの母も、幼い頃に母親を亡くしている。これから思春期を迎えようという多感な頃に。わたしの母は今も元気でいてくれているから、わたしはその感情の全てを理解することは出来ない。でも、その年頃に母親を失うということがどれだけショックなことかの想像くらいはつく。

そう思えば思うほど、疑問と不快感は募る。なぜその話を聞こうとする。スタジオに招いた家族が涙ながらにその話をするのを見て、なぜ涙を流す。悲しいですねって、そこだけ共有して涙を流して「あーわたしはそうじゃなくて良かったな。今あるこの幸せを大事にしよう」って思って?その悲しみを消化しきれない家族への配慮はそこにあるのか。

ないよな。

 

チャリティーというくせに出演者にお金が払われているとか、ヤラセとか、企画の意味や意図がわからないとか、募金列に並んだファンが握手会と勘違いしてるとか、実は募金は正しく使われてないとか、どこまでが嘘でどこまでが本当かの判別すらつかないような、わたしが根本的に嫌悪感を感じた部分とは別の視点からの悪口も沢山聞こえるようになった。後々「チャリティー」と「ボランティア」を改めて調べ直して、自分の頭を引っぱたきたくなったのはまた別の話。

いくつかは共感できるものもある。でも、それが真実かどうかについて確認する術をわたしは持たない。だから、それはわたしの中でだけ発していいもので、それを大看板にして非難するのは多分間違ってる。八つ当たりか、悪口のどちらかでしかない。

まぁ、募金列に並んだファンが握手会と勘違いしているのは誠に遺憾であり憤りしかない。本来チャリティー番組として存在する番組であって、ファンと交流をするための番組ではない。そもそもの募金の概念を思い出せば、その手を差し出すことはないだろうに。

その差し出された手に対して「すみません」とたった五文字で拒否をした翔くんのレポ回ってきたときは「そうあるべき」と「申し訳ない」という気持ちで半々だったし、冗談でも「せっかく会いに行ったんだし握手してもらいたい」とか「翔くんにありがとうございますって言われるのもいいけど、すみませんって謝ってもらうのも捨てがたいなー…(笑)って、ファンとして品格疑われちゃうから握手求めたりしないよ!ちゃんとしたファンだもん!笑」などと言っていたバカのことは全員ファンだと思わないことにした。妄想は勝手だが、お前の妄想の為に彼らの行動を消費しないでほしい。本人にとっては軽い冗談だろうが、そういうのが迷惑行為だってわかってるからしないだのなんだの付け加えようが、その「冗談」を述べる事すら品格を疑う。冗談の二文字を解説としてつければ何でも言っていいと思っている、迷惑なファンの象徴でしかない。嫌悪感が募った。

 

自分が好きな人たちがあの番組の真ん中に立つことで、それに伴って色んな話が聞こえてくる。いい話も、悪い話も、ファンの行動も、言葉も、文句も、冗談も。わたしが一番嫌いな、心底気持ち悪い言葉も。

こんな思いをするなら、好きな人たちがあの番組に選ばれなくてもいい。たしかにジャニーズアイドルの看板を掲げる彼らにとって、そこに選ばれることは光栄なことであり、24時間番組はいわば登竜門的存在である。メインパーソナリティーを務めてこそ、というのも理解は出来る。

でも、そういう番組に出演してメインとしてテレビに映ることによって、彼らに対して悪口が投げつけられるのは我慢ならない。偽善者、という言葉が何より嫌いだ。偽善者という言葉を平気で他人に投げつけられる人は、大してその「他人」という存在について考えちゃいない。考えちゃいないくせに、全てを知ったような顔で他人を評価して、そもそも善という行動を積まない自分の事はたかーいたかーい棚の上に投げ置いて、何かをする他者を「偽善者」といって傷付ける。

「やらない善よりやる偽善」などという言葉も流行ったが、その行動を起こしている時点でそれは「偽善」ではなく「善」だし、それを何もしていない他者が評価することははたして許されるべきことなのであろうか。だって、何にもしてないのに。何にもしてないくせに、ボランティアで被災地に行った人の事を「偽善者」って言うんだぜ。バカらしい。

一つでも瓦礫拾ってから文句言え。もしも現地で肉体労働をして役に立つ気がないなら、旅行なりアンテナショップなり特産品購入なりで金を使え。金を落とせ。口だけ達者で何にも役に立ってないことを自覚しろ。

 

…こんな気持ちになるだけなら、選ばれなくたっていい。

だって、そんな風に顔も見えない名前も知らない誰かに傷付けられなくたって、そんなに御大層な舞台に立たなくたって、あなた達はもっともっと高い所にいける。わたしはずっとそんな風に案じていた。

 

 

忘れもしない、2018年1月27日。わたしは後輩と東京へ買い物に行っていた。百貨店でコスメを見よう、と以前から計画していたのだった。

朝、最寄り駅へ向かう途中でツイッターを見ていると「今夜放送の嵐にしやがれ内で重大発表あり!」のニュースが飛び込んできた。その時運転していた母に向かって「なんか、嫌な予感がするなあ」「嫌な予感?」「うん」と会話をしたのをよく覚えている。

ちょうどその年の3月の末でマリウスが18歳になって、放送コードのめんどくさいアレコレをもうクリア出来るようになるとオタクたちで盛り上がっていたのだが、なぜかその時「今年はSexy Zoneがメインパーソナリティをやります」という知らせが舞い込んでくる気がしてならなかった。正直彼らに勢いは感じていたし、いつかは来るだろうとどこかで覚悟もしていたが、それがその日の夜に知らされるのではないかとどこかで予感していた。

見事と言うべきか、言わざるべきか。予想は的中。帰りの電車に揺られていると、母から「Sexy Zone、決まったよ」という一言がラインで送られてきた。その日食べたおいしいお寿司がシュンと消えてなくなりそうなくらいショックを受けた。

 

素直に「嫌だなあ」と思った。元々自分が好きではない番組でメインパーソナリティを務めることになって、嬉しそうなSexy Zoneの顔を見られなかった。おめでとうと口先では言えても、自分の気持ちに整理はつかないままだった。

彼らも同じようにVTRを見て涙を流すのだろうか、感動したとか勇気をもらったとか、そういった感想を口にするのだろうか、一緒に頑張りましょうとか言ったりするのだろうか。わたしは彼ら5人の事を信じているけれど、あの番組のことは信じてない。それに5人が番組の中心に立つことによってまた誰かから謂れのない悪口を言われてしまうかもしれない。そう思えば思うほど苦しくなって、出なくたっていいのにって、本気で思っていた。

嫌悪感でいっぱいになったり、筋の通らない悪口で好きな人を傷付けられるのは、もう御免だった。

 

このヘイトに塗れたマイナスな感情をどうにかしないと、わたしは今年の24時間テレビを見られない。もしもヘイトの感情を持ち続けるなら、それはそれでいいと思っていた。別に自分の気持ちと向き合った上でその答えが「正解」として出ているのなら、わたしがそれを頑なに拒絶するフリをする必要性がないからだ。でもその前に色々考えてみない事には、そのヘイトの感情をそのまま持っていていいものかどうかも分からない。分からないなら、考えなくてはいけない。

幸いにもまだ時間はある。色々考えてみようと決意したのは、日を跨いで28日のことだった。

 

この頃のツイートを遡ってみようと思ったが、全部素直に吐き出していたリア垢の方はもう見ることが出来ず、大人なフリをしたオタ垢の呟きしか見つけられなかった。

 

 

これは母からのラインでメインパーソナリティを知った直後の呟き。たったこれだけの言葉だったけど、ここには何の嘘も虚飾もない。嫌悪感はそのままに、彼らへの素直な応援メッセージを綴りたいと思った結果だった。

 


少し長かったのでひとまとめにしてしまったが、これはとりあえず帰路の最中から家に着くまでの間で考えたことをツイッターで呟いたもの。どうやって24時間テレビに向き合おうかと考えて、「ヘイトの感情は今すぐ拭えないけど、彼らが今年の顔になるのなら、せめてもう少し前向きな気持ちで見たい」という思いの丈をそのまま綴った。

 

この後しばらくは自分の気持ちに大きな変化はなく、4月11日に地上波初冠番組の放送があり、そのままGWに「Sexy Zone repainting Tour 2018」を見に行った。転機が訪れたのはこの頃であった。

ちょうどこの頃に仕事を辞めようと決断した時期で、その後どんな仕事に就いてどんな人生を送るべきかとぼんやりと思案していた。事務職でも就いてお金を稼いで、こうやってアイドルの現場に足を運んで可愛いコスメを買って、何となく生きていこうかなあと考えていた。

そんな時、コンサートで連番した友人とご飯を食べに行き、他愛もない話をしていたはずがいつの間にか真剣な話をしていた、という出来事があった。出来事だけ聞けばよくある話だが、恥ずかしながらこの時、わたしは年下の彼女に説教されたのだ。

 

「かすみんさんは、誰かに何かに憧れたまま死ぬんですか?」

「違いますよね?貴女は誰かに憧れられながら生きていくべき人です」

「誰かに憧れるだけの人間じゃない。誰かから"憧れられるべき"人間です」

「どうしてそういう世界に踏み込まなかったんですか?」

「なんでかすみんさんはそんなに自分に対して自信がないんですか?」

「もっと自信を持つべきです」

 

詳細な言葉の違いはあれど、彼女がわたしに向かって投げた言葉はこんなニュアンスだった。衝撃だった。常日頃から「自分の事を愛してあげなくちゃいけない」とか「自分で自分に自信を持たなくちゃいけない」とか言ってるくせに、心の奥の深いところで、わたしはわたし自身を一番に仕立ててあげられていなかったことにここでやっと気が付いた。こうやって大人になるまでの間に、何年も何年もの間、たくさんあったはずの自分の可能性を自分自身の手で焼き払ってきた事実に、気が付いてしまったのだった。

バカだなぁと思った。単純に。否定ばかりされてきた環境で生きてきたから、強がって虚勢張って自分に自信があるフリをしていただけで、その実自信なんかこれっぽっちもなかったのだ。自信をもって、と他人に囁くわたしが、一番自分に自信がなかったのだった。

 

呆然としたまま何日間か過ごした。無駄にしてきた時間と感覚と2度と戻らない若さを悔いては、未来への希望も夢も、これから新しく描くにはもう遅すぎると諦めるのを繰り返した。

でも諦めようとする度に「ここで諦めたら2度とチャンスはないぞ」と、後悔を背負ったわたし自身の言葉が耳の中でリフレインした。

 

このように自分の過去と未来に対峙している最中、Sexy Zoneのことを深く考える時間が増えるようになった。冠番組は勿論のこと、コンサートや過去の発言、彼らが毎年夏にやっていたソロコンサートのテーマ。何より、そのどれにもまっすぐにひたむきに、泥臭く一生懸命挑む彼らの背中を思い出して、「わたしは胸を張ってSexy Zoneが好きだと言える、いや、言っていい人間なんだろうか」「そんなに素敵な人生を送れているのだろうか」と思い悩むようになった。

大した自信もなく、昔描いた夢や希望は全て雲の上にしかないとはなから諦めて、何となく仕事をしてたまに楽しいことをして、それで生きていこうとするわたしが?あんなに一生懸命で優しくて、「セクシーとは何か」「どうあるべきか」を日々体現している彼らのことを?好きと言っていいのか?

すごく悩んだ。こんなにかっこ悪い大人が、大人ですという顔をして生きていくことに。自分より年下のSexy Zoneはあんなに格好良く生きているのに、わたしは。こんなに格好悪いまま生きていくのか、と。

 

多分この頃からSexy Zoneの見方に変化があったように思う。それまでは「かっこいい」「若いってすごい」という感覚が主だったが、セクシー(※「セクシー」については「ViVi」2018年10月号、Sexy Zone特集ページの扉にある8行の素晴らしいテキストを読んで欲しい)に生きる彼らの背中を見て、何にも思わない訳がなかった。

ゆとり世代や悟り世代と呼ばれる世代にしては、彼らみたいなタイプは珍しい。それは同じ世代に自分が分類されるからこそ如実にわかることでもあるのだが、大体そういう奴は出る杭は何とやら精神で叩かれてしまう。寄ってたかって後ろ指をさされるし、そんなもの叶う訳がないと嘲笑われるのが関の山だ。叶うかどうかわからない夢に対して一生懸命に努力して、粘り強く、泥臭く、みっともないくらいしがみつくその様は、自分が出来ない羨ましさと滑稽さから笑うしかないのだ。そうやって他人を馬鹿にすることこそが、一番みっともないというのに。

Sexy Zoneはいつだって一生懸命だ。笑われたって、「見てろよ」という負けず嫌い精神をむき出しにしてもっともっと努力する。文章にすればそれは簡単なことだが、実践するのは簡単なことじゃない。ちっとも簡単じゃない。

 

自分が今こんな風に自分を誇れないのは、努力してないからだと思った。夢がないからだと思った。一生懸命じゃないから、頑張ってないから。

「わたしもSexy Zoneみたいに格好良くなりたい。格好いい大人に、格好いい女になりたい」

Sexy Zoneを追いかける内に、自分の中にはそういった心境の変化が生まれ始めていた。ただキラキラしたジャニーズアイドルに向かってペンライトを振って、黄色い悲鳴をあげるだけじゃなくて、正真正銘、彼らから「勇気」や「希望」をもらっていた。

 

そんな感覚を心の中に抱えたまま、彼らがインタビューに答えているテキストを定期的に読み、冠番組第2弾の2018年7月1日、第3弾の2018年8月13日を迎えた。言うまでもなく、号泣だった。

それぞれが元々苦手だと思われることだけど、それでもその弱点を大々的に克服する機会がなく、要は"何となく避けてきたこと"を課題として課せられ、3日間という短い期限付きで挑む。3回ともこの基本的な部分は変わらなかったが、その課題に挑む姿も結果も毎回進化していたように思うし、3回目なんかはOPトークから彼らの成長を感じられてたくましく思ったものだった。

後にこの3回の特別番組は「1月、ドッキリで告知した発表後に面談を行い、各メンバーの生い立ちや個性を詳しくヒアリング(「スポーツ報知」2018.8.23)」した後に組まれたものだと知った。第3弾まで続いたのが元々予定されていたものはどうかについては分からない。だけど、24時間テレビの舞台に立つことを想定して彼らの成長の為に課されていたものだというのは、何となく察知しているようでしきれていなかったことだった。

その努力姿勢に胸を打たれた。仕事だからやり遂げた、以上のものを感じずにはいられなかったというのが本心だ。

 

Sexy Zoneは、わたしにとって大きな希望だ。圧倒的な希望の光だ。

大人になるにつれて、妥協を覚えて、諦めることが日常になって、平々凡々生きていくことが自分の定めだと思い込ませて無理矢理飲み込ませて、それで一人前の大人として生きて行こうとしたわたしにとっての希望。アラサーと呼ばれる年齢のわたしが、人生を変えたい、このまま平々凡々生きて死ぬのは絶対に嫌だと思うようになったきっかけの人。

わたしにとって「人生を変えてくれた人」というのは、紛れもなくSexy Zoneのことだった。

 

こんな風にセクシーに生きる彼らがメインパーソナリティとなって色んな努力をして、色んな人の人生を変えるべく動いて、その5人を応援してくれる共演者が沢山いる。

 

…そしてここから先が、ここまで続いてきた長い長い前置きの「でも」の後だ。

まあ、文脈からいったら、「だから」の方が正しいとは思うのだが。

 

ああ、信じてみてもいいのかもしれないと、わたしの中で小さな変化が起きた。

今まで信じられなかった番組のことを少しだけ、Sexy Zoneに免じて、少しだけ信じてみようと思った。だって、「わたしの人生を変えてくれた人たち」が「人生を変えてくれた人」というテーマを掲げた回でメインパーソナリティを務めるのだから、そんなに説得力のあることはない。

こうやって決意したのは、本当に数週間前の話。セクラバの友人たちが意気揚々と24時間テレビを楽しみにする中、わたしは決心がつくのが本当に遅かった。ギリギリだった。

 

 

 

実際に24時間テレビを終えてみて思う事としては、やはりこの番組のことはあまり好きにはなれない、だった。こればかりは嘘を吐いても仕方がないので、嘘は吐かない。

障害に負けない、とか、そういう煽り文句のことがどうしても好きにはなれなかった。わたしたち健常者が勝手に憐れんでるだけで、障害を持つ人が自分の障害をハンデとしてではなく「ならば何ができるのか」という思考にチェンジして生きていることくらい、番組を見ていればわかる。努力は当たり前に尊い。けど、それを「感動するもの」として扱うのはやはり頂けない。それは「感動」の押し売りに過ぎないからだ。

どんな経緯で障害を持ったとか、どういう苦労をしているとか、そういうのはやっぱり「見せてもらうもの」じゃなくて「見にいくもの」だと思う。自分が普通に生きていく上で知り得ないことを知ろうとする、それが健常者であるわたしたちがやるべきことだと改めて感じた。

 

だから今回いくつかあった企画の中でちゃんと好きになれたのは、ウォーターショーだったかもしれない。自担が出ていたからとかではなく「宮川さんが僕に勇気をくれたように、僕が身体を張ることで誰かに勇気を与えられたら」と、企画に挑戦した少年がごく当たり前のように言っていたからだった。あの歳で、どうやったら他者へ希望の光を見せられたら、などという素晴らしいことが言えるのだろう。あの少年の素直な言葉に胸を打たれた。

途中で双子のお兄ちゃんと喧嘩してしまうのも、この子たちが本気で取り組んでいるからこそ出てくる感情や言葉なのだろうなと思えてとてもよかった。2人の少年が目標に向かってひたむきに努力するその姿勢に感動した。他の人が努力してなかったとかじゃない、わたしは少年のその言葉にいたく感動したのだ。

 

あとマラソンに関しても、みやぞんの身体能力の高さへの期待からハードルを上げ過ぎたのはちょっとどうなのかな、と思った。どれだけ身体能力が高くても100kmマラソンだけで相当な負担なのに、スイムとバイクが追加されるって。確かに彼にとって大きな壁となり、それを乗り越えた時に手応えを感じた部分はあったかもしれないし、多分その姿を見て勇気をもらった人もいたかと思うが。あと24時間テレビの企画なのに、随分早い時間からスタートさせていたのも本末転倒だなあという印象が拭えなかった。これに関してはリフォームもそう。

しかしながら走り切った彼は本当にすごい。しかも途中でペースダウンしたのに、その後巻き返して放送時間内にゴールして、出演者みんなからコメントをもらえるくらい時間に余裕があった。只者ではない。家に帰ったら愛犬の散歩に行くというから尚更だ。

あと、普段の言動もさることながら、彼の当日の言葉や柔軟で優しくて強い感覚に泣かされた。本当にすごい人だった。

 

去年の「阿久悠物語」から少し変化を感じてはいたのだが、少し番組の趣向に変化があったように思える。お涙頂戴ばかりのものを見せるのではなく、障害の有無は全く関係なく、人ひとりの人生を真っすぐに強く美しく生き抜いた人の伝記を題材にするのはとてもいいことだと思った。

今年は「石ノ森章太郎物語」。我らが中島健人が主演だ。とてもいいドラマだったし、彼がブログで「ずっと抱えていた悩みや不安がなくなった」と言っていたのも益々印象的で、ドラマに散りばめられた言葉の数々が刺さらないわけがなかった。漫画家だろうがアイドルだろうが、エンターテイメントを作り出し届け続ける立場の人間にとって、とてもとても大切なものがたっくさん詰まっていたと思う。

素敵なドラマだったよ、ケンティー。夢、叶うといいね。叶えたいね。

 

プロポーズもまぁ、確かに、本来の24時間テレビのチャリティーの概念からは少し外れてしまうと思ったけど、でも、いいものだった。去年のプロポーズ作戦は国内初の女性野球選手、今年は女芸人。こういう言い方はしたくないが、職業柄女を捨てなければどうにもならないことがあるかもしれない仕事をこなす彼女たちが、ごく普通の女性の幸せを手に入れる瞬間というのは、とても普遍的でとても素敵だった。

きっとお互いにとって「人生を変えてくれた人」になったんだろうな。

 

細かいところを拾えばもっとあるのだが、強く印象に残った部分だけを選んだ。まだまだ続けたい話があるから、ここはこれくらいにしておこう。

 

 

チャリティーとボランティアは、似て非なるものである。

チャリティーとは、慈愛・博愛・同胞愛または慈善の精神に基づいて行われる公益的な活動・行為もしくはそれを行う組織のことを指し、身体障害者・高齢者などに対する社会福祉、貧困地域の飢餓救済、または災害・事故などの犠牲者や遺族に対する支援活動といった形態をとるが、本来的には以上の活動にとどまらず、社会に対する貢献全般がチャリティーである、と言われている。つまり実際の支援活動はもとより、テレビやラジオ等のメディアでの呼びかけやアピールを原点とし、募金活動や社会福祉に対する行動があったとき、そこに何かしらの影響を与えたとしたらそれは「チャリティー」なのだ。

それに対してボランティアとは、自発的にある活動に参加する人を指し、社会事業活動に無報酬で参加する人たちを指す言葉、とされている。

そうなると、24時間番組に対して「チャリティーなのにギャランティーが発生しているのはおかしい話」という批判は、矛盾にまみれていることになる。自発的にギャランティーを受け取り拒否するなどの行為はともかく、チャリティーとは元から無報酬前提ではないということ。まぁだからと言って、ぼろ儲けしたろ、という魂胆があったとしたなら、それは褒められたものではないが。あの番組で集めた募金やグッズの収益金が全て制作サイドに入るわけではないのだから、そこだけをむやみやたらに叩こうとするのは違うなぁと今回感じた。

日本人は「無料」が好きだから。「無償」で何かをすることは大変尊く、「無料(タダ)」よりありがたいものはない人種だから、そういうところにケチつけて色々言いたくなるんだろうなぁとも、思った。呆れたものである。

 

という前提を踏まえて、メインパーソナリティーとして武道館に立ったSexy Zoneは十分にチャリティー活動を行っただろうか。

答えは言うまでもない。Yesだ。

 

彼らのひたむきで真っすぐな姿からあふれていたものは、間違いなく愛だった。愛以外に形容のしようがない、あたたかいものばかりだった。それはわたしがいつもSexy Zoneのことを追いかけているからそう見えるだけなのだろうか。多分、そんなことはない。

あの24時間テレビに挑むまでに積み上げ続けた確かな実力と、本番の会場で見せた愛と、若くてまだまだ余白部分のある彼らの姿に、希望を感じたのはわたしだけではないはずだ。考えてもみて欲しい、まだ平均年齢21.4歳の彼らだ。完璧な人間であるはずがない。だって、これを書いているわたしは今年26になるというのに、自分の姿や生き方を恥じ、自分よりも年下の若い子たちに背中を押されて今人生の舵取りを変更したばかりなのだから。

そうじゃなくても元々考え方が柔軟でボーダーレスな子たちだ。身体的障害者だけではなく、もっと複雑で社会との関わり方を模索しているLGBTに対する感覚もとても若くて世界的だ。古臭くてどうしようもない日本的な考え方の枠に囚われていない時点で、彼らみたいな若者には希望しかない。

 

わたしは改めて今、彼らに拍手を送りたい。

メインパーソナリティ就任おめでとう、と。

素敵な24時間をありがとう、と。

お疲れ様でした、と。

 

 

ここまでは、今年の24時間テレビのパーソナリティ就任ドッキリから放送終了までを踏まえて、表題にある3つのものの関わり方を考えたお話し。

ここからはもう少し個人的で、思い出として留めておきたいものを書き残しておくことにする。

 

 

 

 

ねえ、Sexy Zoneのみんな、本当にお疲れ様。おめでとう。ありがとう。素敵だったよ。君たちに伝えたいことがあまりにも多すぎて、与えられた愛が多すぎて、わたしは今晩のご飯もろくに食べられなかったよ。愛が多すぎるよ。君たちのいいところだね。

最初は自分が好きじゃない番組のメインになると聞いてすごく拗ねてしまって本当にごめんなさい。5人が「夢だったんです!」「頑張ります!」ときらきらした顔で言っていたのに、それを真っすぐに応援出来なくてごめんなさい。こんな風に不器用だけど、ちゃんと自分の中で咀嚼できない物を誤飲して幻想を見たくはないから、いつもいつも色んなことを受け入れるのに時間がかかります。許してほしい。

 

わたしの人生を変えてくれたのは、君たちSexy Zoneです。沢山のファンがそう言っているから軽い言葉に聞こえるかもしれないね。でも、この言葉をわたしは一生後悔することはないと思う。自分からレッドカーペットを降りて、スポットライトから逃げようとしていたわたしに「レッドカーペットの上を歩きたいなら努力するべき」と教えてくれたのは、Sexy Zoneの5人です。5人の背中が、言葉が、顔つきが、生き様が、教えてくれました。

あ、でも、そこに至るまでに「貴女が望むなら、レッドカーペットの上を歩いてスポットライトを浴びるべき」って教えてくれた友達がいるんだけどね。なっちゃんっていうんだよ。彼女も君たちと同じでわたしより年下だけど、とても輝いてる素敵な女の子です。Sexy Zoneとなっちゃんがわたしの人生を変えてくれた人たち、かなぁ。

 

全3弾に渡る冠番組、とてもかっこよかったです。それぞれ苦手な事に真摯に向き合って、戦って、みんな自分のものにした。お見事です。セクシーそのものだったよ。

 

ケンティーは、本当に過密なスケジュールで芝居をこなして、本当にかっこよかった。素敵だった。あなたが演じた石ノ森章太郎、とってもとっても評判良かったよ。周囲から彼に与えられた言葉も、彼が発した言葉の数々も、全部きみの為になったことと思う。ドラマが放送終了してから5人が映し出されて、「愛されてる人とは愛を返している人だっていうお姉さんの言葉は、僕らアイドルにも通じる言葉だなと思ったので」ってコメントしてたけど、ドラマを見ている間中ずーっとそれを考えながらわたしは見ていました。きっとKTTで言っていたのはそのことだったのかな。

ケンティーが言ってた夢っていったい何なんだろうね。東京ドーム公演?それとも5大ドームツアー?もしかして海外公演?わたしは、きみが言うならどこまでもその夢を見られると、本気で思っています。いつかその夢が叶った時には、ちゃあんと教えてね。あなたの口から「夢が叶いました」という言葉が聞ける日を、心待ちにしながらきみに花束を差し向け続けます。

わたしの最高のアイドルへ。ありがとう。とっても素敵でした。こちらこそ、これからもずっと愛しています。Sexy Thank You!

 

24時間テレビの最後の挨拶で風磨くんが「僕はできないことには目を背けて生きていくような人生を送っていました」って言ってたけど、そんなの嘘でしょう。大好きなあなたが沢山の試練や困難に挑む姿、わたしはずっと見ていたよ。負けず嫌いで努力家なきみにそんなこと言われてしまったら、わたしはもう言う事が何にもないです。

マークくんからの言葉を紹介するとき、「だから菊池さんもSexy Zoneとして頑張っていくんだよ」って言って一瞬泣きそうになったきみの顔を見て、わたしはとても嬉しかった。みやぞんのゴールに男泣きしたのも、忘れられない顔になりました。なかなか人前で泣いたりしないけど、でも、大事なときに泣けるというのは素敵な事です。

Sexy Zoneの菊池風磨として、これからもたっくさん輝いてください。夢を見せてください。キャーキャー言わせてください。たまには、かわいいかわいいって、デレデレさせてください。どんなあなたも好きでいるから、頂上までの景色も、頂上からの景色も、絶対に一緒に見よう。まだ5合目なんて、2度とあなたの口から言わせたりしないから。見てなさいよ。

中島ァとは、ずっと仲良しでいてね。

 

最後の挨拶を聞いていて、泣かないファンがいるとでも思ったんですか。勝利くん。Sexy Zoneのこと追い掛けてるファンならねえ、きみのその挨拶を涙なしに聞けるわけがないでしょう。

確かにわたしは新規ファンの部類に入るよ。でも、昔5人でいられるかどうかを危惧していたことも、あなたが何でもかんでも一人で抱え込んで解決しようとする癖があるのも、雑誌やメンバーのインタビューを読んでいればわかるよ。そんなにひとりで抱え込んでどうにかしようと思わなくてもいいのにって、わたしはあなたと直接話す事もできないのに何度も考えたよ。

でもきみの口から「僕はまず、4人がいるし」と聞けて、本当に本当に本当に嬉しかったし、安心しました。もう大丈夫なんだって、何かあった時はお兄ちゃん二人と弟二人に相談出来たり、弱い部分を見せたりできるんだって、わたしはすごく安心した。でもたまにはファンのみんなにも教えてね。辛いことがあったときは。みんなできみに向かって沢山の愛を投げるよ。きみの悲しみがどこかへ飛んで行ってしまえるように。

最後に。パパとママへの愛の言葉を聞かせてくれてありがとう。あなたのパパとママにも、沢山ありがとう。産んでくれてありがとう。生まれてきてくれてありがとう。育ててくれてありがとう。育ってくれてありがとう。

これからも4人にツッコんでばかりで大変かもしれないけれど、4人のことを頼みます。

 

ブラインドダンス、優勝は出来なかったけどとてもとても素敵なダンスだったよ、聡ちゃん。ダンスしている間中、ゆきちゃんの目をじっと見て、あなたは確かに愛を伝え続けたね。わたしはきみのそういうところがたまらなく好きです。誰かが話しているとき、誰かが目の前にいるとき、あなたはその人から目を逸らしたりしない。一生懸命に、自分の命を懸けて、その人と向き合おうとする。その真摯な姿勢がとても好きです。

最近はバラエティも一人で何本も出て、その度にSNSで「松島くんってすごい!」「松島くんかっこいい!」「松島くんかわいい!」って騒がれてて…そのくせバラエティで捕まえてきた人たちを音楽番組では「こんなにかっこよく踊るの?!」「歌めっちゃうまい!」「ダンスちょーうまい!」と言わせてしまうのだから、きみって子は。本当に。きみの実力は底なし沼だなぁと日々思わせられます。あとどれくらい伸びしろがあるの?

STAGEのオーラスであんなにぐっしゃぐしゃに泣いていた聡ちゃんが、凛とした顔で最後の挨拶をして、おまけに涙を流していた勝利くんの背中を撫でていたというのだから大したものです。そんなに大人になっているなんて知らなかったよ。

これからもそのひたむきさと素直さは忘れずにいてください。あと君は自分の気持ちを伝えるのが下手だと言っていたけど、絶対にそんなことはない。君の優しい気持ちはもっともっと言葉にして発信されるべきだし、その為にもしも必要なら勉強をすればいいだけ。沢山本を読んでください。そうしたらきっといつの日か、自分の気持ちを伝えるのが得意じゃないなんて、言えなくなってしまうから。

 

マーリちゃん♡なんて、気軽に言えなくなっちゃったね。あっという間に大人になっていくあなたを見ていると、とても年下とは思えません。

今回のブラインドダンスもぐっと大人の顔つきになって、あんなにぎこちなかった最初が嘘のように素敵なリードを披露してくれて…本当に格好良かった。素敵でした。ファッションショーのナレーションもかっこよかったよー!やっぱりマリウスがいるとSexy Zoneに新しい可能性がいくつもいくつも広がる感じがして、とってもいいことだと思う。日本という狭い社会だけで進化を遂げてきた日本人にはないその感覚は、間違いなくSexy Zoneの武器です。世界はボーダーレスだろ、だもんね?

聡ちゃんのところにも書いたけれど、メンバーの中で一番年下のきみが最後の挨拶で涙を流すことなくお兄ちゃんたちを支えてくれたのは、とても驚きました。うんと成長したんだなぁと、嬉しい気持ちでいっぱいです。ケンティーの背中さすさすしてくれてありがとうね。いつまでも末っ子マリちゃん♡なんて思ってたら、ダメかもしれないね。

きみの頑固なところ、きっと大人になる上でもっと素敵にまろやかになっていって、それでいて斬れる時はスパッと斬れる武器になっていくはずです。まだまだ18歳だもんね。スウィート♡エイティーン♡だもんね。

ずっとかわいいままでいて、なんて言いません。でも、ずっと「かわいい!」って言わせてね。

 

きっとこれからももっともっと沢山の困難がきみたちを待ち受けていることでしょう。人気者になればなるほど、投げつけられるナイフは鋭いものになる。でもその時、わたしたちファンがいることをどうか忘れないで欲しい。わたしたちが傷つくことはきみたちの本望ではないのだろうと解っているつもりだけど、きみたちに何かあったときは、わたしがきみたちを守る。

一緒に笑って、一緒に泣いて、一緒に傷ついて、一緒に夢を見よう。頂上までの道のりだってきっと楽しいよ。その分頂上からの景色はきっと極上だろうね。

 

真っ赤な薔薇の萼の下で、わたしはきみたちを支え続けます。ずっと。

上から降ってくる沢山の愛を受け止めながら、沢山の愛をきみたちに返し続けてみせるから。必ず受け取ってね。

 

素敵な夏の思い出をありがとう。

多分、きみたちがいなかったら、こんな風に考え直すこともなかった。捻くれ者のわたしは最後まで心の底から24時間テレビのことを好きにはなれなかったけど、Sexy Zoneの愛はたくさん受け取ることができたよ。

希望の光を、ありがとう。

 

 

かすみ(@mist_storm_1723)