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大野智個展「FREESTYLE」感想

噂には聞いていた「FREESTYLE」だけども、ちゃんと見に行くのは今回が初めてだったので、過去作との比較なんかも考えつつ会場内を歩いた。以下、個人的感想を綴っただけの備忘録です。

(今回は敢えて作品集の最後にあるインタビューを読む前に感想を綴っています。この記事の公開後に読む予定です)

 

この人のアートも自己解剖・自己投影なのかなあと、まず感じた。現代アートにも色々あるけれど、技法や斬新さ、現代におけるオリジナリティの捻出、画一化された面白さや社会風刺なんかよりは、自己の内面の暴露みたいな要素が強かったように思う。最新作になればなるほどその色は強かった。
初期作品はビジュアルで楽しめるアートの面白さが目立っていたけれど、Ⅱの展示作品はもう一歩踏み込んでいた印象で、最新作でガラッとそのイメージが変わった感じがした。個人的には最新作品たちが好き。いい意味で「煮詰まってるな〜」と思った。じっくりことこと煮込んで、味が染みた食べ物みたいな濃厚さが印象的。
初期作品からずっとあった黒人の顔の像、これが何を意味しているんだろう?って考えながら見てたけど、「もしかしてこれ、ifの自己投影だったりするのかな」と思ってから色んな作品がストスト腑に落ちる感じがした。時系列が進むとあまり登場しなくなるけど、その代わりに原色のアクリルガッシュばかりを使った作品が増える。もしかしたらこれがこの人の内面の吐露、つまり現時点での答えや気持ちなのかもしれないなとか、そんなことを思いながら見ていた。
本人のライフマスクを使ったと思われる作品がいくつかあったのも、そう考えるに至った理由のひとつ。アーティストが自分自身をモチーフのひとつとして扱う時、その多くは自己対峙・自己解剖・自己投影・自己表現といったものに通ずる何かしらの動機があるから。多分この人のアーティスト活動って、極論、「自己との向き合い」に尽きるんだろうなと思った。


あと、全体を通して男性を沢山書いていたのも気になった。彼のアート活動のルーツとも考えられる少年時代の絵にも、鳥山明の描く男性キャラの模写や、アルマゲドンのワンシーンを描いたものがいくつかあった。意図的に女性を避けているというよりは、彼のアートにおいてはモチーフとしてそもそも不要なのかもな〜という感じがした。
特定の肖像画を除いて、殆どが外国人男性、特に黒人や筋骨隆々という特徴があるのも、そう思う理由のひとつ。分かりやすいモチーフとして好きなのか、土台には憧憬や尊敬があるのか、いずれにしても大野智のアートを語る上では絶対に論じられるべき点だなと思った。


ただ、一瞬だけ彼の作品の中に女性の存在を見た瞬間があった。白いレースのヴェールを足の親指に括り付けた作品。こんなに直接的なことある?!と思ったし、衝撃だった。
アイドルだからという色眼鏡は一旦置いといて、この時期は色々思うことがあったのかな〜と考えたりもした。


分かりやすく誰かの影響を受けた作品がいくつかあったのも見てて面白かったし、そういった作品は軒並みⅡで公開されていたものだったのも面白い。3回やった展示の時系列で言うと、Ⅱの頃がちょうど彼の過渡期的な時期だったのかな〜と思った。好みかと言われると難しいけど、でも一番面白味があるのはこの時期の作品だったかも。


ちょこちょこと仏教的思想が垣間見えるのも興味深い。前に24時間テレビのTシャツデザインを見た時も「この人めちゃくちゃ仏教的思想で絵描くじゃん…」と思ったけど、今回見た作品の中にいくつも仏教的なものがあってびっくりした。曼陀羅のような絵もあったし、最新の大きな絵も所々仏教的。偏ってる訳じゃないんだけど、所々に見えるのが不思議だなあという感じだった。これについては、時期が集中してないことと、中期から見られる特徴だなという印象。
それでいて、前述にもあるような黒人の文化的な自由さ・開放感に憧れているのであろうな〜と思わされる部分もあるのがまた…。
それらを比べて見て、ほんとにこの人は自由という環境や考え方、在り方に憧れを持ちながら、地に足つけて生きてきたんだな…というのを感じたのかもしれない。

 


しかし展示を見ていて気になる点もいくつかあった。

この展示の悪い点は、

 

・作品タイトルとキャプションがひとつもない(運搬用の箱にはタイトル表記があったものもある)
・作品タイトルが無いからか、展示品一覧の紹介用紙もない
・画材に何を使ったかなども分からない
・展示の構成がごちゃごちゃすぎる
・作品集の綴じ込み方が悪い(ノドの部分に絵の一番大事な部分を持ってくる、横長の作品をページをまたいで掲載するなど)
・(流れ的に当然だけど)作品集にタイトル、制作年の表記がない


などなど。個人的な所感ですが。


申し訳ないけど、展示の大小・時代・作家・テーマ問わず色んな展示見に行ってる身からすると、展示のやり方としてのクオリティはすごく低く感じた。どうせやるならもう少し工夫しなさいよ、と思う点があまりにも目立っていた。
これじゃただアイドルが趣味で作ったもん並べてるだけ。作品を見ればそんな域じゃないことはどう考えたって分かるのに、展示のやり方が悪いせいで「所詮アイドル」の域に落ち着いてしまってるのが本当に勿体ない。

該当ファンしか来ないからこれでいいと思ったんだろうか?と首を傾げずにはいられなかった。だとしたら鑑賞者としてナメられていると思う。無論作り手に対しても。


偶然見かけた運搬用の箱にあった作品タイトルが、すごい良かった。それが椅子を使った作品のタイトルと思わしきものだったので、これは!作品写真集になら!と期待したのだが、こちらにも書いてなかった。これは本当に勿体ないと思う。
タイトルをつけることで作品の深みはもっと増すのに、作った本人の意向なのか、キュレーターやアートディレクター的な責任者の意向なのか。いずれにせよ、タイトルがないだけで作品の仕上がりはガタンと落ちる。なんて勿体ないことしてるんだよ〜〜と思わずにはいられなかった。
勿論タイトル表記がないから展示品一覧の紹介用紙もないし、画材紹介や制作年の情報もない。これはアートの展示としては致命傷すぎる。もう少しちゃんとやってほしい。これじゃあんまりだ。


構成もただ時系列に並べるのも違うなとは思うけど、時間や人数、流れの都合上とは言えエリアは分けられていた。それならせめて展示テーマはもう少し揃えないと、と思ってしまった。黒の壁面のエリアは比較的よい構成だったけど、中盤が本当にごちゃごちゃすぎて、ちょっと萎える。構成は疎かにしないでほしかった。


作品集も、その作品はそう載せちゃダメでしょう!が少し目立つなと思った。「FREE STYLE」と書かれた初期のかなり大きな作品(入口すぐのところに展示されていた作品)が載っているページは、真ん中に描かれたこの作品の象徴、ひいては彼の個展における象徴とも言える大野智のシルエットが、冊子のノド部分に飲み込まれてかなり見辛くなっている。本人写真を使って展示しているくらいこの「FREE STYLE」を象徴するポーズの自分を描いているのに、ノド丸かぶりは…ちょっと…。せめてズラしたり、畳み込むタイプで載せたら良かったのになと思った。最新作の、顔がたくさん並んでいる横に長い作品も同じく。
また、図録あるあるとは言え、展示作品が全部載ってないのもやはりちょっと寂しかった。


個人的にはどこにもタイトルがないのが一番残念だったと思っている。よく言う"想像の自由"とか"受取手の感性"以前の問題。展示やる上で最低限必要なことはちゃんとやって欲しい。そこまでやって初めて、芸術やアートだと思うから。作品を創るって、そういうことだと思うんだけどな。

 


まあ後半で展示に関する文句は垂れたが、特定の有名な人物が作った作品鑑賞をするという点においては、非常に満足度の高い展示だった。
普段から「絵が得意」くらいのことは色んなところで聞いていたし、わかっていたつもりだったけど、一人の人間が必死に作り続けた作品群に囲まれた時に初めて分かることがある。改めてそう感じさせられた展示だったし、各界の著名人が本当の意味で彼を認めていた理由がよく分かった。
「嵐」だからじゃない、「大野智だから」凄い。それを肌で実感した展示だった。

 


おしまい。