今宵逢う人みな美しき

綺麗なモブになりたいジャニオタの独り言

嵐「Are you Happy?」の隠れた名曲「TWO TO TANGO」に捧ぐ

 

やあこんにちは!タンゴの人ことかすみです!
最近は「untitled」が楽しみすぎるが故にずっとソワソワしていて(現在10/15)、そのソワソワを落ち着ける為に「Are you Happy?」をエンドレスで聴いています!

興奮とソワソワが全然落ち着かないけどね!


ところで“タンゴの人”という異名を名乗り始めたのはここ半年なのですが、そのきっかけはと言いますと

「参加できなければここで切腹……………」と白目剥きながら呟いていた「嵐×Sexy Zone ワクワク学校2017」というとんでもないイベントへ参加するべく東京ドームへ向かった日の出来事。
東京ドームでお友達とおしゃべりしている時、お友達のフォロワーさん(※勿論初対面)に「かすみです!」と自己紹介すると、

 

「あの…もしかして、タンゴの人ですか…ッ?!」

 

と聞かれました。これがきっかけです。


しかし面白いのは、この手の「タンゴの人ですか?」という認識を複数名の方にしていただいていたという事実です!!めっちゃうけるね!!
そうです、わたしがタンゴの人です。覚えてね。

 

 

今日はどうしてこのわたくしめがここまで「TWO TO TANGO」を愛してしまったのか、ということを起点に「TWO TO TANGO」に関する色々な考察をしたいなぁー!と思って、このエントリを書き始めました。

どうせ考察するならとことんやりたい………!!!!

そんな思いがあって、ただ単に「ここが好きです~」「歌詞はこんな感じなんです~」だけを書くのでは飽き足らず、色々なことを調べました。
よかったら読んでください。そしてぜひ、是非この「TWO TO TANGO」という曲を聴いてください。

わたくし、某事件(※ご存じない方は「あゆはぴ 通常盤 待ち受け シリアルコード」等のワードで探してみてください)のせいで、この曲は皆様に意外に届いてないのでは…?!という不安を、アルバムリリース時から今日までずっと心に抱えて生きています。

 

まぁ別に知らない人はこのまま知らなくてもいいんだよ!
だってこんな素敵な曲のこと簡単に「え~かっこいい~」とか言われても「TWO TO TANGO」ガチ勢強火過激担のわたしが黙っちゃいないからね!!
こっちはガチ恋なんだよ!!なめんな!!!!

 

とまぁ冗談は置いといて。
半分本気なんですけど。
ガチ恋はガチ恋っスね。

 


今回のエントリでは

 

①タンゴの歴史と文化

②歌詞の分析

③「TWO TO TANGO」に対する熱い愛

 

の三本立てでお送りしたいなと思っております。

メインは勿論②と③なのですが、学生時代に教授たちに叩き込まれたわたしの研究精神が「ただ単に歌詞分析をしても作品理解が深まる訳がないだろうが!ばかちん!!」と騒ぎ出したので、今回はわたし自身も今まで触れてくることのなかった「タンゴ」というダンスや音楽の歴史と文化について触れてみました。
時間がもっとあったなら、それこそ永田町にある国内随一の大きな図書館に一週間くらい引きこもって調べたいところなのですが、今回はそれが叶わないので、インターネットと高校生の頃に使っていた世界史の教科書を参考にしながらまとめていきたいと思います。

 

それでは行ってみましょう~!

秘密のエントランスへ、ようこそ……………

 

 

      ①タンゴの歴史と文化

そもそもタンゴってどこ発祥の文化かご存知ですか?
場所は南米、わたしたちが暮らす日本の裏側です。MildがWildになっちゃう地球の裏側です。じだっ!いをっ!つくっ!ろぉ~!!以下略

詳しい場所の話をすると、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにある港町のラ・ボカ地区と、ラプラタ河を挟んだ対岸にあるウルグアイの首都モンテビデオで、ほぼ同時期に発生したダンスの文化です。
時期は1880年頃。日本では明治時代が始まってしばらく経ったくらいの頃ですね

ほぼ同時期に発生したとは言っても、ここで発生したタンゴという文化は「アルゼンチンタンゴ」「ウルグアイタンゴ」の二種類に分けられます。

タンゴとして主流扱いされるのはアルゼンチンタンゴの方で、ウルグアイタンゴはアルゼンチンタンゴのバリエーションのひとつとして始まったとされています。
また、この後一度ヨーロッパへ渡ったタンゴの文化はまた別の進化を遂げることになり、それは時を経て1920年に日本にもやってくることになるのですが…これは更に「フレンチタンゴ」や「コンチネンタルタンゴ」として区別されます。ややこしいですね。

つまり

 

・アルゼンチンタンゴ(主流)
・ウルグアイタンゴ(同時期に発生した派生形)
・フレンチタンゴ(アルゼンチンタンゴ~華の都Parisのサロン風~)
・コンチネンタルタンゴ(日本人「アルゼンチンタンゴと区別したいなあ」「じゃあ名前つけようぜ!」)

…と、いう感じになる訳です。へーそういう風に分けるのね、と思っていただければ大丈夫です。

 

ではその源流となるアルゼンチンタンゴはいかようにして生まれたか、です。


1880年頃のラ・ボカ地区は港町のため、国際貿易で大変繁栄していました。がっぽがっぽです。うはうはです。多分

当時ラ・ボカ地区に暮らしていたのは、元々その地域に暮らしていたインディオ系の人たちと、ヨーロッパからの移民と、労働力として連れてこられたアフリカ出身の黒人たちと、人種も元々の生活も水準も様々でした。
アルゼンチンは1853年にスペインの領地から独立を果たしているので、ヨーロッパの人たちからしたらわりと馴染のあった場所だったのでしょうね。ちなみにウルグアイも元々はスペインの領地で、こちらは1828年に独立しています。

貿易も盛んだったラ・ボカ地区には沢山の労働者が溢れています。
中には、ふるさとに奥さんや子供たちを置いて出稼ぎにきたパパもいます。

家に帰っても、愛する奥さんや子供はいない。ただ働くだけの毎日に癒しはなく、人々は酒場で酒を飲むことくらいしか楽しみはないんですね。そりゃストレスも溜まるわな。
じゃあそのストレスを発散する為に酒を飲んで、さて何しようかってなるじゃないですか
奥さんや彼女でもいれば そりゃ一発以下略ですよね

でもそうもいかない…………と、いうことで!


「ダンスしようぜ!!」


になる訳です。もう何でも良いんだよストレス発散できれば!!そうだろ?!Let's Dance...(藤井流星ボイス)


最初は場末の舗道や“コンベンティージョ”と呼ばれる狭い下宿で即興的にステップを踏んだのがきっかけと言われています。
現地の人間が黒人たちのダンスステップを真似たのでは?なーんていう一説もあります。


ここで驚きなのは、タンゴの元になったそのストレス発散の踊りは当初「男同士で行われていた」ということです。嵐も最初、男同士でペアダンスするとかしないとか言ってたよね。結果的に却下されてたけど。
そう考えてみると、大ちゃんが言ってた「男同士でペアを組んでタンゴを踊る」という発想は、実はタンゴという文化の大元にあったものだったんですね。
偶然とは言え、なんだか「ほほう」となりませんか?ていうか今からでもやってくれよペアダンス まだ遅くねえ


今でこそ男女で踊る情熱的なダンスとして定着したタンゴですが、元々は上記にもある通り、ただのストレス発散です。一日労働した男たちが夜になって酒を飲み、フラストレーションのはけ口として、欲をむき出しに荒々しく踊っていたんですね。
そのようにして男同士で踊られていたタンゴですが、次第にそのダンスの相手は娼婦へと変わっていきます。

売春宿の待合室で娼婦と踊り、そこに流しの者がやってきて音楽を奏でる。下町を歩き回る流し(※ジャニオタのみんなは、翔くんが毎年司会を務めている「THE MUSIC DAY」の特別企画、坂崎幸之助と城島茂の流しを見ているから、流しの人がどういう存在なのかは何となくつかめると思います)の存在があったので、タンゴという踊りの文化はより広まっていったとされています。


ただここまで読んでもらって分かる通り、ダンスの相手は「娼婦」です。タンゴが生まれた場所も狭い舗道や下宿、酒場といった、お世辞にも綺麗な場所とは言い難い場所…ですよね。これを読んでいる人の中にも、「売春宿」や「娼婦」という単語で「ゲッ!」って思った方、いらっしゃるんじゃないでしょうか。

するとですよ、当時のアルゼンチンの新聞でこのタンゴという文化は「下品だ!」「ならず者が踊る下品な踊りだ!」とこき下ろされてしまいます。でもこの頃には、下層階級を中心にタンゴの人気が出てきていました。

 

タンゴにおける音楽から見るルーツは実に様々で、タンゴ音楽の起源とされているものは、

・カンドンベ(アフリカから黒人によって持ち込まれたもの)
・ハバネラ(ヨーロッパから入り込んできたもの)
・その他色々なリズム(ブラジルやキューバなど、同じ南米から)

・現地の音楽

を足すことによって生まれた「ミロンガ」といものがタンゴ音楽として発展しました。大変ややこしいですね。国際交流甚だしいわ。
ややこしいですが、まぁ「沢山の音楽的文化が出会って生まれたものなんだなぁ」と思っていただければと思います。港町なので、貿易品となる商品のみに留まらない、色々な文化の出入りがあったのでしょうね。

そして1880年、とうとう「バルトール」という曲名でタンゴ音楽の譜面が印刷され、世の中に出回るようになり、1880年はタンゴ元年とされました。オメデトー!!


地元の新聞で悪口を書かれたものの、結局その後もタンゴが廃れることはなく、むしろ発展の一途を辿ることとなります。
その発展の一途を助けることになったのが「バンドネオン」という楽器の存在でした。

タンゴが発生してすぐの頃、BGMとして演奏が行われる際に使われていた楽器は、バイオリン・ギター・フルートがメインでテンポも速いものばかり。
しかし1900年頃、ドイツから移民によって持ち込まれたバンドネオンが演奏陣に加わることにより、楽曲自体のテンポはスローリーなものになりました。

 

バンドネオンとはなんぞや。そう思ったのではありませんか、そこのお嬢さん。
わたしも思いました。バンドネオンって何や。バンドがネオン管でチカチカ?そんな訳あるかいな


バンドネオンとは、アコーディオンのような蛇腹状の楽器のことです。ビジュアルイメージはアコーディオンを想像してもらえれば、まぁそんな感じです!というところ。

バンドネオンを製作したのはハイリンヒ・バンドさん(独)という楽器製作家の方で、本人はバンドネオンのことを「アコーディオンだよ」と言っていました。実際違うけどな。
開発された当時の使い方としては、パイプオルガンを持ち出したりすることのできない野外での教会の儀式の際にその代用品として使用されていました。ドイツでは民族音楽を演奏する際にも使われたりしてましたよ。便利ですね。

 

ここからは「バンドネオンってアコーディオンみたいな楽器なのね~」に留まることが出来ず、「いやだからバンドネオンとは何ぞや。アコーディオンと何が違うん??」という探究心のままにとりあえず納得するまで調べた結果報告になるので、バンドネオンという楽器に特に興味がない方は飛ばしてくださいね!
ここは読まなくてもタンゴの歴史にさほど影響はないです。

あっ!さほど影響はないけど、この楽器がタンゴのBGM演奏に入ったことでひとつだけ大きく変わったことがあるので、それだけは記しておきます。


この楽器、とにかく演奏の難易度が高い!(どうしてハードモードなのかは以下で説明します)


今まではテンポの速い軽快な音楽をタンゴのBGMとして採用していたものの、高難易度の楽器が入ることにより、必然的に演奏スピードを遅くする必要性が出てきました。とてもじゃないけど、それまでのテンポではバンドネオンがついてこられないからです。
このバンドネオンの登場により、現在も伝わるややスローテンポな曲調がタンゴダンスの主流音楽となっていったのですね。

 

 

で、ここからがそのバンドネオンに関する説明になります。
読まない人は、ちょこっとだけすすっとスクロールしちゃってくださいね。

 

バンドネオンとは、アコーディオンのような蛇腹状の楽器で、元々はアコーディオンの一種であった“コンサーティーナ”から生まれたもの。1847年にハインリヒ・バンドが考案した楽器。本人はバンドネオンのことを「アコーディオン」と呼んでいた。
主に野外演奏の際に使用されていた楽器。

アコーディオンの見た目は縦に長く、バンドネオンは横に長い形をしているのが両者の見た目の特徴である。また、アコーディオンが二本のベルトで楽器自体を支えるのに比べ、バンドネオンには楽器を支えるベルトが存在しない。演奏時には膝の上などに乗せ、座って演奏をする。

バンドネオンの構造だが、蛇腹を押す時と引くときにそれぞれ違う音が出る仕組みになっている。
原型となる最初の段階で付いていたボタン配置にどんどんボタンを付けたしていった為、最終的なボタンの配置は大変不規則なものになった。このボタン構造が原因で、バンドネオンの演奏技術習得は非常に難しく、バンドネオンは「悪魔が発明した楽器」と呼ばれている。

肝心のボタンについてだが、タンゴ演奏で用いられる標準のものは“ライン式配列”と呼ばれるもので、左側に33個、右側に38個、計71個のボタンがついていた。形が変わると、“左側36個、右側40個、計76個”や“左側31個、右側34個、計65個”というものもある。

さすがにこのボタン配置でずっと演奏をやっていくわけにもいかず、後にボタン配置が整理された“クロマチック型”も生産されるようになった。
1950年代からは日本のタンゴ楽団でも“ディアトニック型”が使われるようになった。尚、日本にタンゴの文化が入ってきたのは1920年頃と言われている。


クロマチック型:半音階を指す「クロマチック・スケール」からとられたもの。一つのボタンを押したら、蛇腹を押しても引いても同一の音が出る仕組みになっている。

ディアトニック型:全音階を指す「ディアトニック・スケール」からとられたもの。一つのボタンを押したら、蛇腹の押し引きによって異なる音が出る仕組みになっている。蛇腹を引けば「ド」、蛇腹を押せば「レ」のようなもの。バイソニックやプッシュ・アンド・プルと呼ばれることもある。


この大変複雑で扱いにくいバンドネオンという楽器だが、タンゴが持つ独特な音楽性に於いてこの楽器を欠かすことは出来ない。
タンゴの音楽は元々使われていた楽器と組み合わされた複雑なバンドネオンの演奏や運指、リズム、呼吸…様々な特徴を活かし、更には非常に高い演奏技術との相互発展によって生まれ得た文化であり、単純な計算式や合理性だけで説明できるようなものではない、タンゴダンスにおける演奏の「魂」のようなものである。


(バンドネオンの細かい説明はここまでです)

 


とにかく!
バンドネオンという楽器はタンゴに欠かすことのできない楽器でありながら、演奏の難易度も大変高く、「そりゃこんなに難しい楽器が入ったら音楽のテンポも遅くせざるを得ないよな!」と、音楽家でもなんでもないぺーぺーの一般人であるわたしでも解るような、とーーーーーーーっても複雑な楽器だったんです。

でもこれがないと最早「タンゴ」じゃないのよ

素敵ね

 


港町の売春宿で踊られていたタンゴは、次第にその地位を変化させていくことになります。

始まりは1910年、エル・カチャファス(ニックネームらしい)という男性がアルゼンチンはブエノスアイレスに“タンゴダンス教習所”なるものを開いたことがきっかけでした。ちなみに、彼がタンゴという踊りのジャンルにおける史上初のプロです
エルはダンス教室を開いた10年後の1920年、ヨーロッパやアメリカに渡ってタンゴダンスを広めたのです。

ちなみにエルが渡欧や渡米をしていた頃、世界は大混乱の最中。
第一次世界大戦に決着がつき、ベルサイユ条約が結ばれてから間もない頃ですね。

エルがダンス教室を開いた1910年頃、実はアルゼンチンではタンゴという文化が疎外され始めていました。
上記にもある通り、新聞記事などに「下品」と罵られたことが大まかな原因とされているそうです。そりゃそうだ

そして発祥の地では疎まれ始めていたタンゴダンスですが、その流行は南米に留まらず、エルによってヨーロッパにも渡り、それがなんと!なんと!!な~んと!!!

 


華の都Parisで大流行したのです!!

ヤッタネ!!!

 


まぁ実際のところ、一番最初にParisにタンゴを持ち込んで踊ったのはエルではなく、アルゼンチンから偶然Parisに遊びに来ていた大牧場主でした(1910年頃)。
しかしプロのダンサーとして、タンゴ教室の先生として、正式に持ち込んだのはエルですよ。

ヨーロッパに初めてタンゴが持ち込まれた頃(1910年頃)、当時のParisでは“向かい合わずに腕を組んで踊る形”のダンスが主流でしたが、ここに流れ込んできたタンゴの形に、当時のParisMademoiselleMonsieurは大興奮!すぐに“男女が向かい合って踊る形”が大流行しました。
これをパリのタンゴ狂いといいます インパクトがっょぃ

 

第一次世界大戦(1914~1919)の間、一時的にその流行は中断されるものの、戦争が終わってからもその文化がパリで衰退することはなく、タンゴ第一黄金期と呼ばれる時代が築かれていました。
余談ですが、この頃のパリで流行していたタンゴは、原型となったアルゼンチンタンゴのような酒場で荒々しく踊るものではなく、既にサロン風にアレンジされていたものが流行っていました。流石Paris。。。。。。
この“サロン風にアレンジされたアルゼンチンタンゴ”「フレンチタンゴ」と呼ばれているものです。


アルゼンチンで発生したタンゴは一度パリに渡り、洗練されてまたアルゼンチンに戻ってきました。
いわば逆輸入式で進化を遂げたタンゴという文化は、発生した当時に「下品」と罵られ馬鹿にされていたものとはもう異なっており、本場アルゼンチンでも市民権を得るほどの人気のダンスとなっていったのでした。

 

その後は1920年に目賀田男爵により日本に持ち込まれたり、1940年代にはアルゼンチン出身のタンゴ関係者がヨーロッパで成功したりと、タンゴというダンスの文化が着実に人気と地位を確立していったことが窺えます。
1917年には、それまで歌声のなかったタンゴの音楽に歌声が入ったりしました。歌詞には「人生の陰」を描写するものが多く、哀愁漂うものが多くなっていったそうです。「TWO TO TANGO」もそうだよね。。。。。。。。。。。。。。

 

 

……と、まあ、ここまでがさっくりとタンゴの歴史と文化をまとめたものになります。
どうです?タンゴの歴史って面白いですねえ

今では男女の愛憎の雰囲気漂うダンスが、元をただしてみたら、ストレス解消として男同士で踊ったりしていたものなんて。
奥が深いです。楽器ひとつとっても、わたし達の生活に馴染のないバンドネオンなるものが、タンゴの歴史と文化を語る上で欠かすことが出来ないものだったりするし。
調べれば調べるほど面白いなあ、とわたしは思いました。

 

以上!
①タンゴの歴史と文化でした!

 


アッ 休憩ですか?じゃあ休憩に「TWO TO TANGO」でも聴きましょうね!!!!!はぁ~~~~~い!!!!!!!

 

 

      ②歌詞の分析

まずわたしがこの曲に惚れたきっかけは、わずか11秒とちょっとの何とも怪しげなイントロでした。
アルバムを通して聴いた時に、この曲の直前に収録されているリード曲の「Don't You Get It」が持つアップテンポで「前向いてこうぜ~!!」なテンションから一転、覗いてはいけない緞帳の向こう側をひっそりと見てしまったときのような背徳感………。
ばくばくと跳ねるような心臓の音にも似た低音ベースに徐々に音が重なり、Bメロはひっそりと夜に咲いた大きな花弁を見つけてしまったような華やかさと妖しさ。サビに入ると、心の臓を巡る血液よりも暗い真紅の緞帳と金糸のタッセル、揺らめく数多の蝋燭の炎に囲まれて踊る二人が見えるよう。

正直曲調だけでもここまで書いてしまうレベルで好きなのですが、ここに重なる歌詞がもうね
たまらんのですよ


つまりシンプルにまとめると

 


たまらん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!SUKI!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 


…で、済ませられたら楽なんですけどね。もういっそね。
好きすぎてつらいから「たまらん~~」で済ませられたら本当に一層楽ですよ。

 

でもそれで済ませたらこのエントリの意味がないので、ちゃんと書きます。
どこがどう最高で「たまらん」なのか。

 


まずは「TWO TO TANGO」の歌詞を見ていただきましょう。

(※外部サイトへ飛びます。お手元に歌詞カードがある方はぜひそちらを)

 

www.uta-net.com

 

TWO TO TANGO

 

歌:嵐
作詞:HARAJUKU KIDZ・櫻井翔
作曲:Kevin Charge・Andreas Oberg・HARAJUKU KIDZ

(※以下、記事内で歌詞を一部引用しての解説となります。)

 

 

 

 

ハァ、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

もう、、、、、、、、、殺してくれ、、、、、、、、、、、好きがすぎる、、、、、、、、、、、、

 

 

 

まず「Hey you」の呼びかけの後に続く「こっちへおいでよ」「怖くないさ」という誘い文句。

間違いないんです、これは本当にこの後怖いことが待ってる時しか使われないって往々にして決まっているんです。
その怪しいワードを歌うリーダーの甘い声ったらないですね。そんな甘い声で誘われたら、この後にどれだけ怖いことが待っていようとも差し出された手を取ってしまいますね。取るね。確実に取る!!!

「エントランス」は“入口”や“(玄関がいくつもある場合)正面玄関”という意味であり、歌詞に出てくる「秘密のエントランス」とは一体どこのことなのでしょう?
大きなお屋敷に隠された小さな部屋なのか、二人きりで踊れるほどの小さなダンスホールなのか。それとも……?


わたしはここで招待された「秘密のエントランス」の先に、メロディーからも連想した、心の臓を巡る血液よりも暗い真紅の天鵞絨の緞帳と金糸のタッセル、揺らめく数多の蝋燭の炎、小さなダンスホールの真ん中で「ようこそ」と微笑む彼を見ました。
彼との関係性はまだはっきりしません。恋人同士でただパーティーを抜け出してきただけなのか、一夜の関係を結んだ男女なのか、それとも、出会ってはいけない人だったのか………。

「怖くないさ」と言われたその先で「待ってるFantasy(空想、幻想)」が何かも分からない。
めくるめく夢のような時間が待っているのかもしれないという、恐怖感とドキドキと。
そんな緊張感からきっと、手を差し出したはずです。怖いけれど、その向こうを覗いてみたいという好奇心に従順に成って。

「スタッカート」とは、音楽用語で“1音符ずつ短く切って演奏すること”を指します。この曲でわかりやすい「スタッカートなBeat」といえば、イントロにもあった、ばくばくと跳ねるような心臓の音にも似た低音ベースの部分が該当しますね。
このビート音は途中で音階を変えながらずっと流れ続けるのですが、わたしはこれがどうにも心臓の鼓動と重なる気がしてなりません。
だってときめきません…?妖しげな世界をこっそり覗き見する時の心理状態って絶対に落ち着いてはいないし、この曲で聞こえるくらいに心臓の音がうるさく鼓膜に響くと思うんです。ドク、ドク、って。

きっと緞帳の裏にこっそり隠された蓄音機から流れるタンゴのメロディに聴くBeatと、不安と興奮と好奇心に満ちた鼓動の音を重ねてるんじゃないかなって。
そう思わずにはいられないんです。

またここの「踊ろうよ その手を奪うよ あなたと触れ合えばMidnight」がいいんです。
自分が差し出した手をもう彼女が取っているかもしれないし、まだ迷っているかもしれないその状況で「その手を奪うよ」と言って、「Midnight」に紛れ込んでしまおうとしている。真夜中の暗闇に逃げ込んでしまえば、もう誰にも見つかることはないから。

 

ていうか、歌詞もさることながら、ここのパート分けが神すぎません……??????

この畳み掛けるようなメロディと歌詞とパート分け……誰が作ったの………???????天才なの??????????

 

作ってくだすった方には、今後特別賞与を死ぬまで一生分年4回お支払したいくらいです。神です。

代わる代わるに歌うことで、華麗なダンスのターンのように目の前の映像が“パッ、パッ”と切り替わる印象がありませんか。

ここのパート分けのお蔭で、ここまでわたしの中で築き上げてきた「TWO TO TANGO」の世界観は更に完成され、それはもう「未完」のMVのようにダンスをする男女の姿が浮かび上がるよう。そうだよ。このなっがいエントリ書いてる間に「untitled」発売されたよ。最高だよ。「untitled」が最高ってみんな知ってんだろ。最高だよ。

 

「It's showtime」。非常に聞き慣れた言葉ではありますが、意味を調べてみると“何かが始まるとされている時間”を指します。

そしてこの後に続く「回るロマンス」という言葉ですが、なんとな~く恋愛っぽいような、そんな雰囲気を感じません?そう、それは合っています。
あってるけれど、「ロマンス/Romance」を辞書で引くと“恋愛事件”“小説的な事件”“ロマンチックな雰囲気”“情事”と出ます

 


エッ、、、、、“情事”、、、、、、、、、、???????


Oh.....My..................God.......................................

 

 

“情事”が分からない子は辞書を引いてみましょうね

くれぐれもママに聞いちゃだめだよ!

 


「どこへ向かうの?」という「me and you(僕と君)」。
そうでしょうそうでしょう、そもそも情事とは正当な恋人関係にある男女の営みではないからです。婚姻制度に反している、ないし無関心であるもの、とされているのです。
ということは、この二人の関係性候補がひとつ消えましたね。清く正しく美しい恋人同士ではないことが分かりました。というかそういうことにします。そういうことなんです。


どうですこの……たまらぬ背徳の匂い……………

 

正しい恋愛関係や結婚を前提とした交際、もしくは潔白な契りを交わした夫婦関係にない男女は一体、どこへ向かうのでしょう。
ここは秘密の小さなダンスホールなのか、それとも深く深く沈むベッドの上なのか。

なんだか失楽園っぽくなってきましたね。
失楽園はみんな読んだ方がいいよ。好き嫌い分かれるだろうけど、一読の価値はありです。二宮くんも好きだって言ってたよ多分映画の方だけど。わたしは高校生の時に読んだよ。
でも「エローイw」だけに焦点当ててぺちゃくちゃ喋るのだけはやめてくれよな!そこじゃねぇから!!!


失敬。

 


ダンスホールかベッドの上か…、「ふたりのTango」。1番のサビ前にこれだけ熱く語ったことで、きっと皆さんの中にも「TWO TO TANGO」の世界観が出来上がりつつあるとは思いますが、やはりサビ。サビはいいんです。

「ラプソディー」は“狂想詩、狂想曲”“熱狂的な言葉”とされます。
「情熱に鳴くラプソディー」ですよ。情熱に鳴く熱狂的な愛の言葉たち…もう、そう考えれば考えるほどこのタンゴは本当にただのタンゴなのか?!と思わずにはいられません。
絶対ただダンスしてるだけじゃないだろお前ら…………と思うのは大人の邪推ではないと思います。


題名以降ここで初めて登場する「Two to tango」という言葉ですが、そもそも「TWO TO TANGO」って何ぞ?とは思いませんか?

調べたところ大元は「It takes two to tango.」という文らしい。そりゃ文法的にはこうやって使われる方が正しいですよね。
で、これを直訳すると「タンゴを踊るには二人必要」になります。それもご尤もです。男女が向かい合って踊るタンゴというダンスは、男も女もどちらか一人で踊れるわけがないんです。

更にその文や意味が転じて「Two to tango」はことわざで「二人ともに責任がある」として扱われるらしいんですね。
日本でもこの手のことわざ、ありますよね。「喧嘩両成敗」。そうです。それです。両成敗!!
ゲスな乙女のあの人たちがバタバタしていた時に出したアルバ……あっ これは関係ないですね、ハイ


でも…ここにきて「互いに責任がある」って言葉、さすがにしんどくないですか……????
ダンスのステップがいつの間にか進むように恋に落ちたというのに、それを「両成敗」として共に罪人扱いですよ…???しんッッッッ………………ど…………………(頭抱え)

加えて追い打ちをかけるのは「Sweet connection」という単語。これ、直訳すると「甘い接続」なんですね。


甘い接続って、なにがどう接続してるんでしょうね

 

なにがどうして甘いんでしょうね

 

 

ハァ、、、、、、、、、、、、、、、、ッッッッッ、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

 

キスでもセッ……でも、何でもいいけど、とにかくここで行われた愛の行為が「Sweet connention」と表現されていることが最大限にしんどいと思うんです。段々語彙力を失ってきましたね。それはここをしんどい以外の感情で見られないからだと思います。


「永遠になろうよ」「ひとりじゃもう踊れないさ」「Two to tango」
この言葉たちの連打攻撃に、わたしはもう瀕死です。書いてる今もどんどんHPが減っています。

永遠になるというのは、それはつまり「永遠に幸せになろうね」ということでしょうか、いいえそんなことはありません。(反語)
今までの歌詞の流れを汲めば、この「永遠」というのは幸福度の高い「永遠」ではないと思います。万が一幸福度が高いものだったとすれば、この曲調や「怖くないさ」、これから出てくる「全てを忘れて」「二度と返したくないさ」などといった、やたら暗い空気感を感じさせる言葉は出てこないと思います。エッ 思いません?思いますよね??思うだろ?????


「踊り明かせアディクテッドTango」の「アディクテッド」は「addicted(addictの過去形・過去分詞)」で、意味は“(麻薬などを)常習して”“~の中毒になって”“病みつき”“耽る”“夢中”“耽溺”などがあります。この手の単語は垂涎モノです大好物ですヘコヘコ
つまり「タンゴに耽ってこの夜を踊り明かそうよ」と言っているわけですね。ところでそのタンゴってほんとにタンゴ?

「ファンタスティックなギターはDjango」の「Django」とは、おそらくベルギー生まれのジャズギタリスト、Django Reinhardt(ジャンゴ・ラインハルト)を指すもの。ロマ音楽(ジプシー的な音楽)とジャズを融合した音楽ジャンル「ジプシー・スウィング」の創始者と言われています。ジプシーは中東やアフリカ、ヨーロッパなどを移動しながら暮らす民族のことで、各地で演奏をすることで生計を立ててきた人達のこと。
ここでのジプシーの説明はこれくらいにしておいて、Djangoのギターサウンドの特徴を紹介する一文でこんなものを見つけました。

 

「ジャンゴの音楽の素晴らしさは(略)ドラマチックな展開、そしてたった一度のここぞという場面での感極まる超絶フレーズ」

引用元ページ:http://society.django-jp.com/Dj_Django.htm

 

…まさに、ここの相葉くんのパートを歌い終わった瞬間に、全身を一瞬でかけめぐるときめきのような、妖艶で軽快なギターサウンドが入ってきますよね?多分このサウンドがDjangoなのだと思われます。
その証拠に「fantastic」を辞書で引いてみると“空想的な”“異様な”“素晴らしい”といった、やや一癖ある褒め言葉であることがわかります。単にかわいい!かっこいい!すてき!じゃないんですよね。どこか現実離れした感覚もあり、美しくも恐ろしく、しかしながら素晴らしい。
幻想的な酔いに溺れて堕ちてしまいたい………そんなギターサウンドのような気がします。

 


「運命はHeat」盛り上がってきました


「燃え上がる」燃えてきました


「タンデムなSeat」タンデムとは自転車やバイクにおける縦型シートのことを指します。語源となったのは、縦型に繋いだ馬車や馬のこと。つまりこの状況はニケツ


「走り出す」はっしり~だせ~はっしり~だせ~明日をむか~え られると思うなよ


「全てを忘れて逃げ出そう あなたを離さないTonight」逃避行ですね、燃えますね

 

 

ここまでの畳み掛け神シリーズ(第二回目が実行された為、製作者に対する年間特別賞与の回数を更に二倍にしたい)で、二人は逃避行を図ったことが分かります。


個人的にはここからが激熱なんですけど、「Endless love 見える新世界」のフレーズがもう、、作詞誰、、、貴方が神か、、、、、、

「Endless love」は直訳すれば「永遠の愛」ですよね?
でもここでの「永遠」って、上記にもある、幸福度の低い「永遠」だと思うんです。この曲と世界観、逃走するただならぬ関係の二人の行方……、何を思っても清廉潔白で穢れのない「永遠」ではないと思います。

さすれば、「見える新世界」とは、………末恐ろしい話です。

「描く螺旋」は、そのまま二人がダンスで踏んだステップの軌道線でいいのかなと。互いの手を取り腕に触れ、くるくると回るダンスの様子を残像で見るように描いているのかと思います。でも忘れてはいけないのは、あくまで「ダンスの形容である」ということです。しつこいようですが、わたしはこの歌の中における「ダンス」をイコールで「男女のまぐわい」として見ていますよ。そういうことですよ。
問題なのは「Upaide down」です。これを訳すと“逆さまに”“混乱して”“めちゃくちゃに”といった言葉が並びます。確かにタンゴ自体は情熱的で欲のまま気の向くままに踊るのが源流的な踊り方ですが、先程の歴史にあった通り、日本に流通しているコンチネンタルタンゴもパリで人気を博したフレンチタンゴも、パリでサロン風に優美なアレンジがされたものが主流になっています。
と、いうことはですよ、ここでタンゴダンスの表現として“めちゃくちゃに”や“混乱して”などの単語が並ぶのはやや違和感がありませんか?だって、あのParisでお洒落に洗練された踊りですよ。

 

 

 

………ああもう……めちゃくちゃ…めちゃくちゃだよ……わたしの脳内が………

 


わたしの脳内で制作したMV(監督・演出・衣装 わたし)だと、ここのパートは、ダンスをする二人のドレスや別珍のジャケットの長い裾の揺れて回ってを追いかけつつ、最後は天窓に向かって映像が投げられたように終わって次のサビへ向かっていくよ……最高だよ…………誰か撮ってよ……………


二番のサビなのですが、ここの「流線のシルエット」って、まさにさっき書いたばかりの「ドレスや別珍のジャケットの長い裾の揺れて回って」の表現ではないでしょうか。流れる線のようなシルエットがここで見られるとすれば、恐らくタンゴを踊る二人の影のはずです。
さらに「重なり合えば不思議さ」の部分は、翔くんのラップパートでも触れる「ダンスで体を寄せたり離したりする様子」と「身体を重ねる」ことの二重の意味ではないかと。
更にこのあと「Two to tango」に続くわけですから、“重なり合えばわかるよ、僕らの罪は両成敗”というニュアンスになるのでは?と思います。そうよね~~恋は両成敗よ~~!!!不倫だろうが純愛だろうが、恋に堕ちたら二人の罪なんです。二人の責任なんです。

「Beautiful girl」はそのまま、“美しい子”“可愛い女の子”と訳せます。訳せます、がッ!!
ここの「girl」って意味深じゃあありませんこと?なんだかおぼこい女の子に話しかけているように聞こえませんこと?!
だとしたら本当に罪です。もう最高です。男を大して知らないような女の子をそんな風に誑かして、その気にさせて……、両成敗だけどぉ……両成敗だけどさぁ………ずるくない……???


極めつけの様に「もう二度と帰したくないさ」なんて…、とお惚気てる場合じゃありません、ここの「二度と」が大事なんです。これはさっきから述べている「幸福度の低い永遠論」に繋がる大事なキーワードです。
「二度と」って、皆さんどれくらいの重さで捉えてらっしゃいます?わたしの場合ここの「二度と」はガチガチの本気の「二度と」だと捉えているので、端的に言うと「死んでも離さない」のレベルだと思っています。何なら「死後の世界ですら、来世だって離さない」と思っています。
勿論ここを軽い口約束程度の「二度と」と捉えることもできるし、少し甘いキザな「二度と」として考えることだって出来なくはないと思います。でも「永遠になろうよ」のワードがどうしても引っかかってしまって、ここをそんな風に軽い「二度と」だと捉えられないんです。


さて。
「I wanna dance with you all the night」を和訳すると、「僕は一晩中貴女と踊りたい」ですね。
もうここで「dance」が何を意味するかについてぺちゃくちゃ喋らなくてもわかるね?だって、ここのラップ詞書いたの、誰だと思ってんの~~~~~?(※ここで各々オースティン・マホーンの「Dirty work」を脳内再生)

 

 


SAKURAI SHOW(渾身のドヤ顔)

 

 


ここでわたしが何を喋らなくとも、これを読んでる方なら察しがついていることでしょう。
だってあんなにえっちに歌ったり踊ったりする翔くんが書いたこのラップ。
この流れで、ですよ?健全に??オールナイッパーリナイッダンスナイッバズリナイッな訳なくないですか???むしろ健全だとこっちが困るんですけど????
いやなにが困るねん

 

いや困るんや!!!!!!!!!


ダンスだって、音楽だって、鳴り出したらもう戻ることは出来ません。デジタル音源化が進む今、指先ひとつでススッと聴きたいところまで戻せますし、逆再生だってお手の物。ですがレコードや生演奏はそうはいきません。何分何秒のところまで、ここから10秒逆再生して戻す、そんなこと出来ないですよね。
初めてのペアダンスだって、練習も何もしていなければ然う然う揃ったりはしません。
恋も夜の営みも、全部そうじゃないですか…?ねっ……??

「重なる姿」は、タンゴダンスを踊る男女が体を寄せたり離したりする様子であり、身体を重ねるという意味での「重なる」だと思うのですが
然すれば「散る翼」は、乱れる髪か、ドレスに付いた飾りの羽根か、飛び散る汗はダンスか情事か。それとも、もう外へは逃がさないという気持ちの表れが好きな女の背中の翼をもいだか。
ンン………ッ!!!(悶)

 

そして「それが泡沫の一夜だとせよ」。
もうね、ここの一文で決定的なんですよ!!!この物語に登場する男女の関係性が!!!清く正しく美しい清廉潔白な男女関係にないことが!!!!
今夜限りで手を離してしまわなければならない女の手を取っているのか!!それとも!!そもそも出会って恋に堕ちてはならない女だったのか!!!!!いずれにしても!!!!この二人に明るい未来はないんです!!!!!!はい!!!!!!!好き!!!!!!!!!!!

「急なdance 夢中なdance」はもうわかるね?
danceに夢中になるってどういうことか、わかるね?
「Upside down」なんだよ、わかるね?

「疲れ果てうなだれてるなら hey“you gatta...”」
「うなだれる」という言葉を聞いて、大まかな姿は皆さん想像が出来るかと思います。でも改めて辞書を引いてみますと、「うなだれる」とは、“恥ずかしさのために力なく首を前に垂れる様”とあります。


恥ずかしさのために俯く様、ですよ…?


疲れ果てて恥ずかしさのために俯くんですよ………???

 

 

アッ もうやめてっ…!!
これはどう考えても、です。どう考えてもしてます。確信しました。してますね。ヤダッ翔くんのえっち!!!助平!!!すき!!!!!!!
今更ですがわたしはニノ担です。

「hey」のあとはカッコで結ばれているので「“you gatta...”」は台詞になりますね。わたしの脳内で勝手に作ったMVだと、ここは妖しげに微笑う五人の口許を女性の耳元に寄せた画をアップで撮って、残像を感じさせつつ五人が瞬時に入れ替わりながら囁くシーンになっています。悪魔の囁きです。
「you gatta~」は「あなたは~しなくてはならない」となりますが、この歌詞だと「~」の部分がボカされています。
ここにどんな単語を入れるかは自由だと思います。この曲の世界に呑み込まれてしまったあなたの姿を想像して、何を入れましょう。
ダンス?抱擁?キス?同衾?それとも…?わたしはもう一つだけ入れたい言葉がありますが、それは後ほど。

 


ダンスも恋もまぐわいも、お互いの呼吸なんて最初から上手く合ったりはしない。けれど、ここで思い留まってこの先に進むのをやめてしまうの?無駄だよ、もう時間は戻らないのにね…
だったらもっと僕と踊らない?一夜で消えてしまう泡沫の恋だとしても、もっと性急なステップで、夢中なダンスで。
貴女がそうやってうなだれるなら教えてあげる 「もっと僕と“XXX...”」

 


…………どうです………???

 

 

 

櫻井翔、天才じゃないですか……?????

 

 

 

 

 

この短いラップの中で、ここまで続いてきた「TWO TO TANGO」の世界における秘匿とされてきた核心部分をここまで掘り下げた歌詞書いちゃうんですよ…????天才………??!?!?!?!
最の高なんじゃないの………?!?!?!?!?!?!

全私が号泣しながらスタンディングオベーション(号泣)

 

いつも思うんですけど、翔くんのラップのエッセンスって本当にすごいと思うんですよね。色んな料理におけるスパイスというか、この短いラップが入ることで曲の世界観がグッと深まって味が出て、それだけで一曲の仕上がりが全然違うものになる。スパイスなかったら寂しいじゃないですか。なんか物足りないし。
別にみんな知ってるし感じてるとは思うけど、新しい歌詞を見るたびに「ウグアアッッッ」って衝撃を受けるし、その度にその曲が好きになっていくし、もう「櫻井翔天才なんじゃねーの?!」という感想を毎回毎回抱いちゃうんですよね。みんなそうでしょ?これ櫻井担とかそんなの関係なくみんな思うでしょ?本当に翔くんかっこよすぎるでしょ!!!!!
パイオニア~~~~~!!!!!(号泣)


さて、最後のサビですね。

歌詞自体は一番のサビとまるっと同じですが、ここまでこのエントリを読んでみてどうでしょう…?
特に翔くんのラップパートを終えたあとの「Sweet connection」「ひとりじゃもう踊れないさ」「Two to tango」って、一番に舞っていた言葉と重みが違いませんか。

一番の段階ではまだ互いに思いの丈に大きな差があったと思うし、わたしの作ったMVだと女性はまだ彼の手を取るのに躊躇いもあって、目を合わせるのもやっとで、覚束ない足取りで何とかダンスのステップを踏んでいるんですね。でも、ラストシーンになると、女性の目はしっかりと彼のことを捉えているし、彼もまた彼女のことを見つめて止まない。妖しく細められた互いの目には鈍い光が差して、何を言わずとも考えていることはきっと同じはず。
「もう一人ではいられない」「この瞬間に永遠を」
そんな言葉すら感じてしまいます。

ではこの「永遠」を望む二人の行く先は…?
それは、「TWO TO TANGO」の虜になった貴女の手の中に。

 

 

アッ?!二つ目読み終わりましたし休憩でもとりましょうかね!!!! はいわかりました!!!復習がてら「TWO TO TANGO」を聴いて、更に「TWO TO TANGO」の世界観に浸りましょうね!!!!!!!

 

 

      ③「TWO TO TANGO」に対する熱い愛


正直「まだ書くのかよ!」って思った人は手を挙げて下さい。

 

ハイッ挙げたまま!!下ろさない!!その人には「Are you Happy?」通常盤を押し付けるのでそのままッ!!そのままでいてくださいねッッッ!!!!!!

 

②の項目を読んで頂ければ、わたしがどれだけこの作品を読み解くのに情熱を傾けたことか、お解り頂けるかと思います。
それに、随所随所にこの③で書くべきだったのでは…?という熱い想いが溢れてしまった感じもあるので、ここまで読んでくれた方は「こいつほんとに好きなんだなぁ」くらいは感じていただいているのでは?と。


はい好きです(大声)

 

 

この曲は、衝撃的な音楽性を兼ね備えたアルバム「Are you Happy?」を通して聴き、最終曲「Don't You Get It」がまさかのリード曲という、とても新鮮な衝撃と充足感に満ち満ちたアルバムを聴き終えたわたしたちに叩きつけられた、本当の意味での「Bonus」なのだと最初に感じました。そしてそれと同時に「Secret」でもあると感じました。

ジャケット写真のあの愛の溢れた感じ!みんなお好きですよね。
それなりに歳を重ねて、経験も重ねて、極自然体で出た五人の笑顔と、そんな笑顔の四人をぎゅっと抱きしめた大野くんという「これがHappyじゃないなら世の中のなにがHappyだっていうんだ!!!!!」という、逆ギレにも近い多幸感でいっぱいになってしまうアルバム「Are you Happy?」。

でも中身をいざみて見ると、意外にも全部が全部ハッピーではないんですよね。
「Ups and Downs」は特に衝撃的でした。三曲目という前の方に入っているにも関わらず、「絶望と希望を繰り返し」に代表されるような、「今は幸せじゃないけど負けるなよ!」と言わんばかりの「Happyになる為の道のり」のようなものを感じます。ソロ曲にしてもそう。二宮くんや潤くんが特にそうかな。潤くんのはそれこそ、絶望を乗り越えてやっと笑えるようになった穏やかさすら感じますね。まさに「晴れ渡る空」です。
勿論他にも気になるところはあります。「青春ブギ」だって「To my homies」勿論「Don't You Get It」も、どれもどこか「しんどいこともあるし今までもあったけどさあ、前向いて歩いて幸せになろうよ」といったような、ただただ幸せな現状や未来に満足感を得ているような曲ではない部分が多いように感じます。

でもどれもどこか「幸せそう」なんです。
今はしんどくてもきっと未来はあるから、そんな風に、いつものように、わたし達の背中をぐっと押して、どこかで悲しい思いをしている人をぐっと持ち上げてくれるような、そんな温かさを感じます。そういえばそんなこと言ってた後輩がいましたね。

そいつ菊池風磨って言うんですけど

銀河一いい男なんですけど

 


ゲッフン

 

 

 

今はそれぞれ違っても、みんな幸せになれるよ?そんな大きな幸せばっかりじゃないけど、毎日ほんの少しの幸せがいいでしょ?
だからこそ「あなたは幸せ?」という問い掛けの形式のアルバム名なんだろうなって思っています。幸せの形は人それぞれで、大きかったり小さかったり、温かかったり熱かったり、冷え切ってたものがすこーしずつ温まってきたり、色んな現状を含めての疑問形なのかなって。


で、そこで叩きつけられたのがこの「TWO TO TANGO」です。
初めて聴いた時に自然と連想されたのは、何を隠そう「失楽園/著・渡辺淳一」でした。

この「TWO TO TANGO」という物語に登場する男女の間には、ちゃんと「恋」とか「愛」といったものは存在するんです。でも彼らの「恋」は世間から許されたものではないし、温かく迎えてもらえるような「愛」ではない。それって一見不幸だなと思うんです。
自分が好きになった人を全否定されて、その人とも会えなくなるなんて。声も聞けない、顔も見られない、触れることすら出来ない。それなのに「好き」という気持ちを消すことも否定することもできない。世間から認めてもらえない恋ほど、辛く苦しいものはありません。きっと好きの気持ちが相手に届かないよりも、うんと苦しい。

じゃあどうしたら「幸せ」になれるんだろう。
どうやっても周りは受け入れてくれない。祝福してくれない。認めてくれない。
そう考えたときの究極の答えは「心中」にあると思っています。


「心中」という文化自体の歴史は古く、江戸時代に栄えた遊郭のころにあった「心中立て」や「心中箱」といった文化と、元来日本が持ち続けている来世思想によるものが本格化したものとされています。
多くの男性の相手をする遊郭という檻の中で働く女郎が「本当に愛しているのは貴方だけ」という自らの思いを込めて、心中箱に自分の髪や剥いだ爪、果ては切り落とした小指まで入れるようになりました。そしてその最終形態とされているのが「相対死」、つまり「心中」です。
愛する人と一緒に死んで、来世で幸せになりましょうね。そんな思いを込めて共に死んだのでしょう。

それを「異常だ」と言う人がいるのも解ります。そもそも死んでしまっては元も子もないからです。好きな人を愛することも、抱きしめることも、触れることも、死んでしまえば何も出来ない。
「周りを納得させればいい」。現代ならそれもそうかもしれません。あるいは「駆け落ち」という手段だってあります。
ただ遊郭の時代でそれはほぼ不可能です。これはさすがに解ってもらえると思います。
更に言ってしまえば、現在の平成の世の中を見ても、それが異常な行動であることはわたしも理解しています。
時々「一家無理心中」などといった見出しのニュースも見ますし、「彼女を殺して自分も死のうと思った」という殺人事件が起きたりもしています。ただやはりそれは異常で、常識の範疇で考えたとき、普通として考えることは困難です。

でもわたしはどうしてもこの「心中」という文化に惹かれてしまってならない性質なんです。それはもう中学生の頃から。歪んでますね。
色んな小説を読み漁る中で、本来結ばれることが許されない男女が「それならばもういっそ、一緒に死んでしまいたい」と思う愛の美しさ、尊さ。そういったものに、もうずっと魅了され続けてきました。まぁこれは、愛読している作家名を並べてみれば納得していただけるかと思います。


確かに「愛する人を認めてもらえない」から「好きな人と結ばれない」。それならば「死んでしまう」しかない、というのは一見不幸です。
でもそれは果たして、本人たちにとっての「不幸」なのでしょうか。

持論ですが、こういった愛の形を選ぶことは「最上級の幸せ」だとわたしは考えます。というより、本人たちが納得して選択した行動の結果を評価していいのは、他ならぬ本人たちだけです。他者が騒いだところで、そんなのただの外野に過ぎません。残された遺族が家族が可哀想などというのも、本人より他者が前に出てきたときの価値観でしかありません。無情かもしれませんが、「心中」の話をするとき、わたしは当事者二人以外全ての人間を話の中の重要人としては認めません。
他人の尺度に測られた幸せなど、本当の幸せかどうかなんてわからないものです。

 

彼らにとって「死」という結果が「幸せ」の選択の結果なのだとしたら、それは「幸せ」なんです。他人が何をどう口出そうと「幸せ」なんです。
生きていようが死んでいようが、世界にたった二人だけという事実だけで幸せな男女の恋愛の形、それが極論として「心中」というものに繋がるのだと、わたしは思います。
二人地獄は極楽浄土。そういうことです。


「TWO TO TANGO」の歌詞に載っている範囲でそれを推測するならば「もうこの先にどうにもならない絶望しかないこの状況ですら、僕たち二人にとっては、幸せでしょう?」というものかな、と。
もしもこの二人の「恋」が「愛」が誰にも咎められないものなのだとしたら、きっと「タンデムなSeat」で「全てを忘れて逃げ出」して、「もう二度と帰したくない」なんて思わないはずですから。

この歌に出てくる二人が、最後に心中を選択したかどうかなど解りません。これはあくまでわたしの推測と、願望の語りでしかありません。
ただ、他人には理解され難い愛の形であったとしても、当事者二人が口を揃えて「幸せだ」と呟いたのなら、それは不幸などではなく立派な「幸せ」として成立するのです。これが「死」という形でなかったにせよ、全てのケースにおいてそうだと信じています。
「この特殊な『幸せ』の形すらもこの『Are you Happy?』に入れてくるのか…!」そう感じたことこそ、わたしがここまで「TWO TO TANGO」という曲を愛してしまった理由の全てです。


これだけ安定した人気を持つ国民的アイドル嵐が、こんなにアングラなパフォーマンスとテーマを…?!とうち震えたものの、色々考えていく内に「これも幸せのひとつなんだ」と感じたことが、わたしを「タンゴの人」となるまでに沼の底へと突き落とした要因です。
もう、これだけ長々と語ってきたのでしつこいでしょうけれど、わたしは本当にこの曲が好きです。

大袈裟ではなく、この曲を超越していく作品は、後にも先にももう生み出されることはないと思っています。それくらい好きです。それくらい本気です。

 


もうそろそろ書きたかったことも尽きてきました。これを書くのにあたって、構想段階から含めると一ヶ月くらいはかかりました。マジで。
でも今ここまで書けたことに、大きな達成感を感じています。140文字という小さな枠に収まらず、ずっとこのような形にしたかった「TWO TO TANGO」への愛を綴ることができて、本当に嬉しいです。おそらくこのエントリ自体も、わたしにとっては大切なものと成っていくのでしょう。たまに読み返して、たまに修正して。そうやって自分の止め処ない「TWO TO TANGO」に対する愛を、これからも強く大事に持っていきたいなと思います。

ここまで本当に長かったですね!読んでくださった方、どれくらいいらっしゃるのでしょう。
もしかしたら途中でリタイアしてしまった方もいらっしゃるのだろうな、なんて考えています。長かったですもんね。


まずは、ここまで読んでくださった貴方さまに大きな感謝を。
そしてこの「TWO TO TANGO」という素晴らしい楽曲を作ってくださった作詞家の方、作曲家の皆様、編曲担当の方、そして櫻井翔くん、振り付けをしてくれた大野智くん。
なにより、この歌を歌ってくれた嵐の五人には、永遠に止むことのない拍手と大きな愛を。


彼らへの大きな拍手とこの“ラプソディー”を以て、締めさせていただきたいと思います。

ありがとうございました!

 

 

「TWO TO TANGO」ガチ勢強火過激担こと かすみ(Twitter→@mist_storm_1723)

 

参考ページ一覧(正式な紹介方法でないこと、失礼致します)

アルゼンチンタンゴの歴史 アルゼンチンタンゴ・ダンス協会

タンゴとは - コトバンク

BEGINNERS | アルゼンチンタンゴを始めるなら東京・銀

タンゴの起源、黎明期 - 10tango.com

第一回 自己紹介とバンドネオンとタンゴとフランスとモサリーニをめぐるあれこれ | アパートメント

第三回 バンドネオンはアコーディオンではぬぁい!! | アパートメント

https://www.daion.ac.jp/about/museum/a5a6tu00000190s8-att/a1388030870663.pdf

バンドネオン / 谷口楽器

It takes two to tangoってどんな意味?|イギリス英語を学ぼう! Chubby's English Cafe

http://society.django-jp.com/Dj_Django.htm