今宵逢う人みな美しき

綺麗なモブになりたいジャニオタの独り言

「少年たち~Born TOMORROW~」を見て

 

わたしが「少年たち」に出会ったきっかけは以前記しましたが、まさかこんなに早く生で見に行けることになるとは思いませんでした。
地元のカラオケで「少年たち」を見て震えている過去のわたしに教えてあげたい。お前近々見に行くぞと。

 

mist-storm-177.hatenablog.com

 

ちょうど「少年たち」にハマり、ここから先にどうやってこの作品と対峙していくべきか、そんなことを考えあぐねていたわたしの元にひとつの情報が舞い込んだ。

「少年たち~Born TOMORROW~」を今年もSixTONESとSnow Manでやります!というものでした。

最初は「えっ行きたいな…」と思った程度だったのだが、この数日後に大本命である嵐×Sexy Zoneのワクワク学校二次応募に全滅、Summer Paradise2017も全滅となり、仕事帰りに車の中で泣いた。冗談抜きで涙ちょちょ切れた。
もう今年の夏はなんもないな、終わったな、早く夏終れよクソが…と荒れまくったわたしでしたが「以前から迷っていた松村北斗名義でのPay-easyをキメれば『少年たち』を見に行けるのでは…?!」と思いついてしまった!天才!

そして思いついてしまったが最後、その天才的閃きに素直に従い、仕事の帰り道に寄ったロー○ンの駐車場ですぐに入会してPay-easyをキメた。そしてその日の内に応募。
無事当選したので、一公演のみ日生劇場にお邪魔することとなったのです。


という事の運びはここまでにして、ここからは前回同様長い考察が始まります。まだ何文字書くかはわかりません。恐らく一万いくかいかないかで前回とあまり変わらないかと思いますので、覚悟して読んでください。

 

また、公演期間中ではありますが、考察の都合上物語のネタバレを含みます。ネタバレを回避したい方は、ご自身で「少年たち」の顛末を見届けてからまたこちらを読んでいただければ幸いです。


注意事項に関しては以前と変わりありません。
また、今回の考察を書くにあたって「少年たち~Born TOMORROW~」を観劇したのはたった一回のみですので、前回同様台詞や言い回しなどに誤植等あるかもしれません。が、ニュアンスでの齟齬が生まれぬように配慮して書くつもりです。
そのあたりに関するご指摘がある場合、お気軽にお声掛けください。

それでは長くなりますが、わたしの考える「少年たち~Born TOMORROW~」について記していきたいと思います。

 


「少年たち~Born TOMORROW~」におけるテーマは、

「戦争」
「友情」
「音楽やエンターテイメントが持つ希望の力」

そして

「風化していく過去」

なのではないかと思う。

前回の記事を読んでいただいた方には分かると思うのだが、この時点で「少年たち Jail in the sky(以下『Jail~』と表記する)」との差を何となく感じてもらえるだろう。
Jail~で描かれていた「善と悪」や「生と死」といったテーマとは少し毛色が違う。いいや、少しどころではない。とんでもなく違う。
同じ演目を背負っていながらこんなにも内容が違うことに、わたしはまず驚きが隠せなかった。
ここからは、最初にあげたテーマ性になぜわたしが辿り着いたのかについて、気になるところを項目別にして拾い上げながら考察していきたいと思う。

下記はこの「少年たち~Born TOMORROW~」を考察するにあたり、ポイントとしてあげていく項目になる。

 

①チームカラーと看守の存在から見る二つのグループの「対立」

②それぞれの入所理由

③時代設定の浮遊感とジェシーの徴兵制度

④全員の出所と歴史の中における戦後

⑤戦場におけるジェシーの生き方

⑥ジェシーの死  

⑦「~Born TOMORROW~」をどう訳す

⑧「少年たち~Born TOMORROW~」における主題とまとめ

⑨おわりに

 

それでは、舞台上の物語を追いかけながら①から順番に考察していく。

 

   ①チームカラーと看守の存在から見る二つのグループの「対立」

注目していたチームカラーだが、SixTONESがオレンジ、Snow Manがグリーンだった。グッズ販売に並んでいたバンダナのイメージによる先入観か、てっきり赤と青で対立を表現するのかとばかり思っていたので、全く予想もしていなかったカラーで来たことに驚いた。
単純にチームカラーとして分かりやすい二色ではあるが、対立のイメージには直結しない。色相環から見てもやや補色になる程度で、印象で捉えるなら補色よりそれぞれがワントーン明るくなる(→色相環における対の位置から、互いに中央の黄色へ一歩向かう)感じ、というべきか。
オレンジとグリーンという二色は、あまり対立を深く感じさせない、マイルドなカラーだなと思った。

以前みたJail~のA.B.C-ZとジャニーズWESTが赤と青でもっとはっきり対立を体現していたのとを比較で考えてしまったせいか、SixTONESとSnow Manの登場シーンから何となく場が穏やかで、殴り合いの喧嘩をしていても何故だかあまりヒリヒリした空気を感じない。
幕が開けてしばらくの間、何とも言えない違和感に包まれていた。それはJail~で見た「少年たち」の印象があまりに強かったせいなのか、対立の空気がピリピリと漂わない点に疑問を感じていた。


とは言え、二つのグループは少年院の中で抱える鬱屈とした感情をどうにかするため、殴り合いに明け暮れる。それは他の「少年たち」と比べても同じことだろう。
しかしここで重要なのが、看守の存在だ。

殴り合いをしているのが見つかれば、当然看守に殴られる。時に正当で、時に理不尽な看守からの罰を受けなくてはならないからだ。
勿論ここでも殴り合いの喧嘩は見つかり、看守から拳を振るわれた。が、ここでわたしはもう一つ驚くこととなる。看守が、いない。
わたし自身、Jail~の濱田のような存在になりうる、もしくはその程度に存在感を発揮する看守が出てくるのかとばかり思っていたが、どうやらそうではないらしい。確かによく考えてみれば、すでに舞台上には同数になる6人と6人で分けられたSixTONESとSnow Manが殴り合っていたのだった。
てっきり他のジュニアが登場するなりをして舞台上に看守という人間が増えるのかと思っていたが、その後も一切キャストが増えない「少年たち」。看守は天の声の宜しく声だけの出演である。

今回の看守の特徴は「冷静な現実」と譬えるべきか。
囚人に手をあげることはあげるものの、それは決して利己的な判断ではない。まともな折檻はあるものの、そこまで何か特筆するほど悪だ何だのアレコレがない。
つまり、悪でも敵でもないのが今回の看守の特徴なのだと思った。極めて中立的で、俯瞰的で、一見冷酷にも見えかねないほど冷静な、そんな描き方だ。

また、中盤に登場する一場面。おそらく、Jail~で橋本と桐山が対立を深めて問題を起こすように濱田が仕向けたボイラー室の掃除の場面が、「少年たち~Born TOMORROW~」では、全員で戦争資料室の掃除・整理整頓となっている。看守の指令とはいえ、やはり「対立」が重要項目のひとつに掲げられていないということが、この場面からでも十分に窺える。

Jail~では対立するA.B.C-ZとジャニーズWESTの間に立ち、二つのグループの対立を更に深める極悪看守がいたおかげ(せい?)で、赤と青に分かれた両者の対立がメインテーマのひとつに大きく関わってきていた。
しかし、オレンジとグリーンに分かれたSixTONESとSnow Manは、看守不在の関係性の中で対立を深めることなく、やや浮遊感の漂う関係性のまま物語が進んだのではないかと考えられる。

更に付け加えるならば、ジェシー・岩本、松村・深澤のように、SixTONESとSnow Manを繋ぐ関係性がふたつ存在するのも「対立」の要素を薄くする一因と言えよう。共に良好な関係とは言えないが、Jail~では見られなかった関係性である。
この関係性があってか、劇中で「ジェシーが作り岩本に聴かせられなかった歌」として歌われた「♪君にこの歌を」をきっかけに、二組の対立はあっさりと解消されたように思える。

つまり「少年たち~Born TOMORROW~」において「対立」という関係性は、あまり重要視されていないものであるとわたしは考察する。

 

 

   ②それぞれの入所理由

Jail~では一人一人明確に犯罪を犯した経緯、理由、犯罪内容が必ず物語上で語られた。中にはコントの時間を使って犯罪を犯した瞬間を描いた者もいた。
勿論舞台となっているのは少年院なのだから、そこに入るべき理由が全員にあるはずで、それは一人一人の人物像を掘り下げる過程で欠かせないものになる訳だから、語られるべき点である。
では「少年たち~Born TOMORROW~」ではどうだったのか。

ここにまた大きな驚きがある。ほとんど、語られないのだ。
今回の「少年たち~Born TOMORROW~」における主人公はジェシーと岩本になるわけだが、舞台を見ていて分かったのは以下である。


・ジェシーと岩本はかつて同じバンドのメンバーだったが、二人は誤解の末仲間割れした
・その後岩本は悪い奴らとツルみ、その結果少年院へ入る
・ジェシーも悪さをして少年院に入る

・Snow Manは全員音楽をやっていた(同じバンドか別バンドかについては語られない。恐らく別バンドではないか)
・Snow Manはそれぞれの経緯を個別に語られることはないものの、殺人や殺人未遂で少年院に入れられた

・SixTONESは京本以外入所理由を語る場面はない
・京本は「施設に居た頃、両親の悪口を言われ激昂し人を殴った」という理由で入所


こうして並べてみると、明確な経緯と理由、犯罪内容がすべてそろっているのは、日記少年にあたる京本だけなのだ。
純粋に疑問が多く残った、というのが素直な気持ちである。何故舞台を少年院に設定しておきながら、少年院に入所する理由がこうまでして語られないものなのか。ましてや物語の中枢人物にあたるジェシーと岩本に関しては、過去の友情の芽生えから関係性の破綻までがドラマチックに描かれているのに、関係が破綻してからの説明がどうにも雑である。ざっくりと「ちょっと悪いことしちゃいました」と言わんばかりのあっさり具合で済まされてしまっており、こちらとしてはどうにも消化不良だ。

こんなにも理由がぼんやりとしていたなんて。なんて宙ぶらりんなのだろう。
そう思わずにはいられなかったが、ここからは①で述べた「対立」に関する意見も含めた考察を述べたい。


まず、ここまで入所理由がぼんやりとしている理由はふたつ考えられる。

ひとつは、今回の「少年たち~Born TOMORROW~」において「少年院」という場所自体が最重要視されていないこと。
これは更に以下で述べていく「戦争」という主題に関わってくることなのだが、Jail~と比較したときに、物語の主題性の「生と死」という大きな軸でブレは感じられないものの、それが「少年院内」におけることなのか「世界」におけることなのか、スケールの違いがまず挙げられる。
少年院内だけで発生し消化できる問題であったならば、二組のグループを対立させてそこに様々な意味を持たせることに納得ではあるが、今回の主題はあくまで「戦争」に関するものである。「少年たち~Born TOMORROW~」において「少年院内」という狭い世界は彼らにとっての世界の「全て」ではない。強いて例えるならば、ただひとつの国家だ。国家の内部を開けてみれば、見知らぬ者、見知った者、相性が良い者、相反する者、血の繋がらない者、血の繋がっている者。色々な繋がりでいずれはひとつに繋がっていく、一国家内の人間関係の縮図とも言えよう。

ふたつ、今回の「少年たち~Born TOMORROW~」は、「『今』と『自己』の葛藤から『未来』に向き合う『少年たち』」を描くものであること。
言うなればJail~は、「『過去』と『自己』の葛藤から『今』に向き合う『少年たち』」だった。ここでの明確な違いは、自己と葛藤する時間軸のずれ、その地点から見える先の時間軸のずれ、である。
勿論ジェシーと岩本の関係性から分かるように、過去に囚われて対立を続ける者もいる。しかしその二人を除いて見てみると、意外にも皆が皆過去に囚われているということもない。むしろ少年院内における生活、関係性の再構築に重点が置かれていることを踏まえてみれば、それがどう考えても過去ではなく今を生きていることの証拠だと言えよう。

「少年たち~Born TOMORROW~」のスケールが「少年院」という場所に留まらないこと、「過去」でなく「未来」を生きる若者を描くこと。
このふたつが今回の「少年たち~Born TOMORROW~」で重要視されているということから、入所理由はあまり詳しく述べられることはなかったのだろうと、わたしは考える。

 

 

  ③時代設定の浮遊感とジェシーの徴兵制度

今回の「少年たち~Born TOMORROW~」に「戦争」というキーワードが欠かせないのはもうお解りかと思うが、ここで気になるのは「時代背景」である。
「少年たち」が、恐らく現代を生きている若者たちであろうということは分かるのだが、明確に何年の出来事と語られる場面はない。
それは中盤に出てくるジェシーの出所及び徴兵制度にも共通していることなのである。

きっかけは看守による特別な罰(※「全員懲罰房に入れようと思ったが、懲罰房の数が足りないから一週間飯抜き!」ということからも、二組に対しての私怨やからかいといったものを感じない)で、戦争資料室を掃除することから始まる。

この舞台を観劇していたわたしは、掃除の最中に資料を手に取った「少年たち」の一言で、どうしても忘れられない言葉がある。


「スゲー!全部白黒だ!」


なんのこっちゃ、当たり前の感想ではないか。と、皆さんは思うだろうか。
それはそうだ。これを書いているわたしを含め、出演者、これを読んでくださっている方の中に平成生まれの方は沢山おられるだろうし、たとえ昭和生まれだったとしても、白黒の写真ばかり撮られて大人になったという人はもう少ない世代だろう。
つまり、この「スゲー!全部白黒だ!」という言葉が当たり前のように出てくる世代というのは「カラーで写真を撮ってもらう・撮るのが当たり前で育った世代」なのだ。それが何を意味するかなど、単純明快。戦争を知らない世代の暗喩だ。
SixTONESとSnow Manからごく当たり前の、普通の感想として飛び出した「スゲー!全部白黒だ!」という一言は、「2017年に20歳前後」という現在の彼ら自身、更には観客にあたるわたしたち、つまり「現代の若者」の象徴であり体現なのだ。

ここからはある程度の年齢層を想定しての考察を述べたい。その為にこの物語の主役であるSixTONESとSnow Manに年齢層のスポットライトを当てて話していく。

今の若者(※ここでは20歳前後を想定する)の両親、祖父母、と辿って行ったとき、単純計算でそれぞれが20歳前後で出産を経験していた場合、若者の祖父母は大体60歳前後になる。今年日本は戦後72年を迎えた。これがどういうことかお解りいただけるだろうか。普通に暮らしている生活の中で関わりを持てる範囲で考えた時に、自分たちよりも遥か昔を生きていた人間たちですらもう、戦争を経験していないのだ。
身の回りの年上の方々に話を聞いた実体験を含めて話せば、現在30代に当たる方の祖父母だと実際に赤紙を貰ったという人もいた。でも皆が皆貰っていたわけでもない。その方の父親が、歳の離れた兄が、という話も多くなってきた世代だと感じる。終戦間近の戦時中にまだ赤ん坊だった、というケースが多いようにも感じられる。
実際に祖父が徴兵されていた人などは、機会があれば昔から「あの時はな…」と話されることがあった、という話も耳にした。しかしもうそのように体験談を話してくださる方も減っている。それは勿論、その体験談を聞かされる人間が減っているということでもある。

自分の身内に戦争体験者がいない、身近ではない、関わりがない、教科書の出来事でしかない。それが今を生きる「若者」の実態なのだ。
そして「少年たち~Born TOMORROW~」の舞台上にいるSixTONESとSnow Manこそ、その「若者」の象徴である。


ここで一度、ジェシーの徴兵について触れておきたい。
ジェシー自身、父親がアメリカ人、母親が日本人という略歴の持ち主ではあるが、この物語の中では明確に国名が明かされることはない。先に述べた通り時代設定も明確にされていないし、物語の中心となるジェシーの出身も明確なものがない。看守に「戦況が変わった」と告げられるものの、どことどこの戦争で、どれからどのように戦況の変化があったのかもこちらは分からない。
ただ分かることは、資料室で「少年たち」が実際に目にした写真にあったように、未来ある若者が戦争の為に兵士になるという現実だけ。


こうして考えてみるとどうだろう、時代設定も明確なものがない、出生地も、見たことのない国の様子も、戦争も。全てに明確な現実性や数字がないことがわかる。
そういったものがないと物語の真意がつかめない、謎が多い、入り込めない。それはそれで正論だが、逆にその「ぼんやりとした感じ」こそが受け取り手に託された解釈の余地であり、これがただ一瞬の、後にも先にもその瞬間にしか起き得ない「出来事」のひとつではないことを示しているのではないか。

つまり、SixTONESとSnow Manによって演じられた明確な時代設定がないこの舞台は、過去に於いても未来に於いても、ましてやこの今という瞬間にも成り得る「嘘のような現実」なのだ。
この舞台を見ていたわたしですら、舞台の上に立つ若者、「少年たち」と同じだ。戦争は遠い昔の話、教科書に載っている話、今も遠いどこかの国で起きている「嘘のような現実」、自分には降りかかることのない火の粉。ただ、そういった現実が確実にどこかにはあって、苦しんでる人がいて、悲しんでる人がいて、どこかで無数の命が消えゆくことも何となく感じている。

そのような現代の若者が抱える感覚というべきか。時代設定やプロフィールに存在する隙が、どうにも若者たちが抱える感覚に通ずるものに思えてならない。
かつて芥川龍之介が「ぼんやりとした不安」を感じて服毒自殺をしたように、今の若者が抱える感覚はどうにも明るくない。ただ分かりやすい絶望、たとえば戦争に兵士として特攻隊員として徴兵されるようなものがないだけで、どことなく「明日は我が身」という感覚を捨てきれずに平和な時代を生きているように思える。

ただそんな若者でも、「少年たち」のように戦争資料を見て「戦争は良くないな」「こうやって争うことは無意味だな」「もっと何かあるはず」と感じることに間違いはないだろう。京本のように、ジェシーのように。


つまり、「少年たち」が生きている時代設定の不明確さ、ジェシーの徴兵制度に関するぼんやりとした情報は、物語上に登場する戦争がただひとつの「過去の事件」を指すものではなく、わたし達が生きている今現在や未来にも起きうる「現実」の仮想性を孕んだ、いつどの時代でも共有できる事実を表現するために用意されたものであるとわたしは考える。

 

 

  ④全員の出所と歴史の中における戦後

舞台はジェシーの出所と並びに徴兵、訓練の場面後に休憩を挟み、演出上はこの休憩の間に「少年たち」は無事全員が出所したことになっている。
そして出所後はそれぞれが職に就いている。以下、一覧だ。


佐久間・安部・渡辺 → ライブハウス経営
京本 → 音楽プロデューサー
宮館・森本 → ダンサー(劇場)

松村・深澤 → 戦場カメラマン
田中・高地 → 戦争資料館の学芸員

岩本 → アマチュアシンガー?フリーター?


戦場に赴いたジェシーと因縁の仲の岩本はさておき、他のメンバーは全て「エンターテイメント」か「戦争」に関する職業に就いていることがわかる。
「エンターテイメント」組は劇中で、実際の第二次世界大戦後の日本における歌手、音楽、劇場、舞台といったものの解説をしており、戦後の日本に生まれたエンターテイメントによってどうやって日本が元気になっていったかを表現している。
一方で「戦争」組は、戦時中の他国からの攻撃やその当時の日本の対応などに関する資料を、回想劇を取り入れて表現した。空爆の様子、逃げ惑う人、防空壕、敵国による伝単、死にゆく人、生き残った人、日本軍部の対応。伝単に関する解説では、当時の日本において思想統制が存在することについても触れられている。これは後に述べる戦場におけるジェシーの生き方にも関わってくることなので、思想統制という言葉は頭の片隅に置いておいて頂きたい。

両者が表現する中身は違えど、伝えたいことは「風化していく歴史」に関することだ。
戦後72年も経った今、日本は戦争のことを忘れ始めている。いつかあった遠い昔話、と捉える若者は沢山いるのだろう。いや、日本全体がそうなってしまっていると言っても過言ではない。
それをどういった形で語り継ぐのか、学ぶのか、知るのか。そういったことを訴えたいのではないかと思う。

また、項目④の考察において出所と戦後を並べたのは、共に「未来への希望」や「生きることへの希望」を持つ要素だと感じずにはいられなかったからだ。わたしはこの舞台を見る上で、無意識的に「出所と戦後」に対して希望を見出していたのだと思う。

 

 

  ⑤戦場におけるジェシーの生き方

少年院に入る前、少年院内で生活していたとき、ジェシーは音楽が大好きな心優しい青年だった。徴兵令を受けたときも「これが決まりだから」と言って諦めたようにそっと呟き、入隊していった。
彼が変わったのは、間違いなく戦場に赴いたとき、いいや、もしかしたら訓練で銃を握らされていたときからだったのかもしれない。
軍に入隊して軍服に身を包み、銃を発砲する。自分の手で、自分の意志で、人を殺す為、に。

戦地で銃を握り、たった一人の偵察隊として戦場を動き回るジェシーは、万が一敵と遭遇したら即座に処分しなければ、自分の命はおろか、自分が属する軍隊にまで迷惑がかかってしまう。戦況は不利になり、生きて帰れば責められ、死んで帰っても責められ、だろう。
戦地における基本的なことだ。それはジェシー自身が一番よく分かっていたはずなのに、相手の偵察隊が自分よりも年下の小さな少年だということを知ったジェシーは発砲するのを躊躇った。こんなにも幼い命を自分が奪っていいはずがないと、優しいジェシーは考えたのだ。

わたしは少し安心した。
ひょんなきっかけから「戦争」という過去を知り、自分たちなりに考え、向き合い、生きることの尊さを知った彼が、戦場に赴いてもその優しい心を忘れることはなかったから。
ジェシーはジェシーのままだった。優しいままだったのだ。


やがて時は経ち、戦場カメラマンとして先に戦地入りしていた松村・深澤を追いかけるように、学芸員となった田中・高地が中心となって戦場への取材許可をとり、皆でジェシーを連れ戻そうという計画を練る。無事許可は下り、危険な戦地へ向かう11人。
しかし皆がジェシーを見つけた頃には、ジェシーはすっかり人が変わっていた。平気で人を殺し、人を殺したことで得た勲章に誇りを持ち、戦場で他人を殺して生き残ることを最善の策だということをすっかり盲信していた。
どうしてあんなに優しかったジェシーが、と思わずにはいられない。

ここまでややあらすじになってしまったが、「少年院に居た頃~戦地に派遣されたばかりの頃~戦地で戦っている頃」の時間の経過と状況の変化と共にジェシーの心境と人格が少しずつ変化していっていることが大事なので、少しばかり目を瞑ってほしい。
ただ優しく笑顔が絶えなかった彼が、その優しい心と自分が置かれた状況に戸惑い葛藤し、やがてはその優しかった心も忘れて人殺しになり、更に人を殺すことが「やってはならない事」から「優秀な戦績」に変化している。物語の流れとしては当然なのかもしれないが、ここまで見ていて、舞台上の登場人物たちに感情移入しているわたしは正直苦しかったし、信じたくもなかった。あんなに優しかった彼が、人を殺したことを誇示するような人間になってしまったなんて。
ああまさか、と思った。思ったが、その直後に「これが戦争なんだ」と気付かされた。

項目④で触れた思想統制だが、戦時中の日本で当たり前となっていた思想や行動は全て国家や軍隊による操作でしかない。平和に生きたい、命を守ることが何よりも大切、と考えている日本人を「非国民」と扱い、そういった「非国民」な人間は全て憲兵により刑務所へとぶちこまれた歴史がある。真っ当な国民である為には、政府や軍の言うことを正しいと思い、信じ、行動することを強いられたのだ。
ましてやこのような考え方に加えて、戦地にいる精神状態を加味してみれば、人間が狂うのも当たり前だ。さっきまで隣で話していた人間が数秒後には死体になっている。横にあったはずの人間の腕が足が頭が、一瞬で無くなる。それが日常となれば、嫌でも「他人を殺してでも生き残らねば」といった強迫観念に襲われてしまうはずだ。

勿論、平成を生きる若者達は感覚としてそんなことは知らない。知る由もないのだ。
しかしこの思想統制・洗脳・強迫観念といった精神状態が戦争になったら人間の中に自然と起きることを、戦争を学んだ11人はよく分かっていた。よく分かっていたからこそ、自分たちの言葉でジェシーを説得したかったのだろう。

歴代の「少年たち」で歌い継がれてきた「♪嗚呼思春期」という歌がある(今回はSnow Manによるバンド演奏での披露)。
風が吹き荒れる中で「少年たち」が必死に、心の底から叫ぶように歌うのだが、その間奏中の「バッジをつけてる奴が偉いのか?」という台詞がここにきて胸を締め付ける。
少年院にいたころは皆が本当にそう思っていたはずなのに、戦場にいるジェシーはとても誇らしげに「見ろよこの勲章!俺は沢山人を殺したんだ!」といって満ち足りたように笑っていた。


戦場にいるジェシーは、もう昔のジェシーではない。優しくて、音楽が大好きで、みんなのことを笑顔にしてくれるジェシーは、徴兵された時に既に死んでしまったのだ。
でもこれは彼だけに起こった不幸ではない。遥か昔から戦争の絶えない世界中で、いつの時代でも必ず同じような人間はいる。今もそうやって狂っていく人間が世界のどこかにいるかもしれない。
SixTONESとSnow Man、12人の世界の中で起きた悲しい話。それは変わることのない確かな事実だが、このジェシーの戦場での生き方すらもまた、わたし達が生きている今現在や未来にも起きうる「現実」の仮想性を孕んだ、いつどの時代でも共有できる事実を表現するために用意されたものでしかないのだ。

 

 

  ⑥ジェシーの死

ジェシーの死は果たして、何だったのか。

ここで再びJail~と比較してみる。
Jail~で死んだのは戸塚のみで、戸塚の死んだ要因は脱獄する仲間の手助けがメインだったように思う(ここについてはJail~の記事で掘り下げているので、ここでは最たる部分のみを要因として扱う)。つまり仲間を助けるための自己犠牲だ。自己犠牲による死だ。
ではジェシーはどうか。彼は戦場で仲間に説得されている内に銃で撃たれて死んでしまった。これは自己犠牲による死ではない。まず「自己犠牲による死かどうか」について、戸塚とジェシーは全く別のベクトルを向いた「死」であることは分かっていただけると思う。

戸塚の死というものはあくまで「戸塚個人の死」でしかない。それは彼の自己犠牲概念に基づいた行動であるからだ。
一方ジェシーの死はというと、「ジェシー個人の死」に見えるが、実はそうではない。


少年院内にあった戦争資料室で誰かが「こんな若い子が?」「俺たちと同じくらい」「俺らより若い子もいる」と喋っていた。戦地に赴く前の集合写真などを見ての感想であると思われるが、果たしてその写真に写った人間の何人がその戦火を潜り抜けて生き残ったのだろう。恐らく、ほとんどが亡くなったのではないか。
「ここに写る人のほとんどの人が戦争で亡くなってしまったのかも」という感覚は、あのとき資料室にいた12人全員、いや、観客であるわたし達にも共有出来たものだと思う。写真に写るのは自分たちより若い人たちで、昔の話で、どこか他人事で。そういった感覚がありながらもあの場にいた全員が「死」という感覚を頭のどこかで捉えられたと思う。
ではここからは舞台上にいた12人、いや、11人に絞って話を進めていきたい。

資料の中にしか存在しなかった戦争。自分たちにとっては遠い話だった過去の出来事が、今彼らに「ジェシーの死」として降りかかった。彼らはそれをどう受け止めたのか。
顔も名前も、年齢も、生活の様子も、人柄も、何にも知らない人たちの話だったはずなのに、自分たちと同い年くらいで、現在の話で、彼らにとって大切な人で。遠い存在だった「戦争」が、風化し始めていた「歴史」が、こうやって身近に今として存在する恐怖を、現実を、悲しみを携えて、突然彼らの目の前に現れた。それが紛れもない「現実であり事実」だと、彼らは思い知らされることとなったのだろう。

11人にとってジェシーの死は「ジェシーの死」でしかない。個の死だ。
しかし「ジェシーの死」というのはジェシー個人の死であると同時に、かつて日本で起きた戦争で亡くなっていった人たちの死でもあり、今この瞬間世界のどこかで戦争に巻き込まれて死んだ人達の死でもある。事実として捉えるならば個人の死でしかないが、この物語上において「ジェシーの死」は「戦争で死んだ人達」の象徴でもあるのではないか。
戦場で撃たれたジェシーの死は、戦争そのものの被害者すべての体現である。死んで良かったはずのない命の権化だ。


こうして考えてみれば答えは明確だ。
「ジェシーの死」は「戦死者全ての死の象徴」なのだ。

 

 

  ⑦「~Born TOMORROW~」をどう訳す

この公演が決まり、副題が発表された時からずっと気になっていた。
「~Born TOMORROW~」。これをどう訳して解釈するべきなのかと。

自分自身日本文学・日本語の分野は専門分野なのだが、英語はしこたま苦手なのでこれは困った。日本語を扱う時間は長かったが英語はどうにも。ニュアンスでしか感じ取れない。
という、ポンコツ具合を前提としてほしい。むしろ英語得意な方がいたらここについては色々教えて欲しいものだ。

bornはbear(動)の過去分詞形となり、「生まれた、生じた」「生まれながらの、先天的な」「~で生まれた、~の身分として生まれた」といった訳し方になる(goo辞書より)。
前後につくものによってその訳は変わるが、大きくとらえて「生まれた」という過去形のもので概ね間違いはないだろう。何度も言うが詳しい人がいたら本当にすぐに教えていただきたい


という、辞書的な話はこれくらいにしておいて。

最初にこの副題を見たときにわたしは「明日を生きろ」といったニュアンスのものなのかと思った。何度でも言うがわたしは英語ができない。
それまでこの2グループで公演していた「少年たち」がここまで戦争に関わるものだとは知らなかったし、てっきりJail~のような脱獄物かと思っていたのだ。
しかし「生きろ」ではborn本来の意味とは異なる。しかし「明日に生まれた」では何だかおかしい。
さて、ではこの「~Born TOMORROW~」をどう訳せばよいのか。

「生まれた」という意味で使われるならば、「誕生」という言葉もニュアンス的には近いのかと思う。が、この舞台に於いて「誕生」という要素はどこにもない。再生と死は存在するが、何かが新しく生まれることはない。
また、生に関する単語ならば「生きている」「生存する」という「live」などもある。未来を指す「明日」と、過去を指す「生まれた」を横並びにしているのは、文法的に考えても謎だ。時間軸の不一致に当たるのではないか?詳しい人教えて、もしこれが平気ならそれはそれでということにさせてください

それから、動詞が先頭にくるということは、命令形…ということでいいのだろうか。そうすると更に謎は深まってしまうのだが、これも疑問に思ったことなのでここに書き残しておく。


それではここからは、文法的なことや本来の使い方などの細かいことはある程度抜きにした考察になる。

この副題、「~Born TOMORROW~」は一体誰からの言葉なのか。誰からでもない12人に向けられたものなのか、誰か一人からの言葉なのか、それとも12人全員からの言葉なのか。
②の項目でも書いたが、わたしは今回の「少年たち」を「『今』と『自己』の葛藤から『未来』に向き合う『少年たち』」と分析している。「今」と葛藤して「未来」に向き合うということは、彼らが生きるべき瞬間は実は「今」ではなくて「未来」なのだ。それはこの11人、いや、12人に限ったことではない。ジェシーの死が「ジェシー個人の死」ではないように、このメッセージ自体が彼らを発信地としてこの舞台を見ているわたしたちに向けられているのではないだろうか。
「明日に生まれた」は直訳になってしまうが、やはりこの「~Born TOMORROW~」は「明日に生きろ」「明日に生まれろ」という訳し方をするのが最良な気がしてならない。

「明日に生きろ」「明日に生まれろ」。
戦争によって奪われる命、奪われた命。そんな他人事だと思っていた出来事が身近に起き、生命についての在り方、存在意義など、「少年たち」は何か考え直したはずだ。そんな舞台上の彼らを見て、観劇していた人間が何も思わないはずがない。と、わたしは信じている。
偶然に偶然が重なり尊い生命を手に入れたこと、今日一日を生きるということ、明日必ず生きられる保証はないこと、明日をまた生きることは奇跡だということ。
この作品内でジェシーの死は「戦死者全ての死の象徴」として描かれているのではないかと先述した。”個人の死”に留まることのないジェシーの死があり、それを踏まえるとこの「明日に生きろ」というのは、先に亡くなったジェシーから11人に向けた言葉ではなく、戦争で亡くなった全ての人達の思いを乗せた言葉なのではないか。
つまり「明日に生きろ」「明日に生まれろ」というのは、「明日また新しい自分であれ」「明日もまた生きて、新しい未来を、世界を、自分を」という、未来への希望を託した言葉なのではないか。そしてそれはわたしたちが自分自身に向けて言い聞かせたい言葉でもあり、もしかしたら、ジェシーのように戦火で命を落とした人たちからの思いなのかもしれない。


余談だが、嵐の二宮和也が「母と暮せば」という作品において長崎原爆で亡くなった青年、福原浩二を演じている。幽霊の姿で母の前に現れたり消えたりするが、最後に、心残りだった恋人への思いを語る場面でこう言っている。

 

「町子が僕の嫁として一生母さんの世話をして暮らす。母さんは幸せだし、僕もうれしい。そやけど、それは間違っとるな。僕はもうこの世の人間ではなかとやけん、町子は僕のことを忘れて誰か良い人を、できたら僕よりもっと素敵な人を。…うぅん、そげん人なんておらんとは思うよ、おらんとは思うけどでも、もし、もしおったら…いや、おらんとは思うよ、でも…おったら…その人と結婚するべきだ。僕や母さんは寂しくても我慢する、それが町子への愛なんだ。町子が幸せになって欲しいていうのは、実は僕だけじゃなくて、僕と一緒に原爆で死んだ何万人もの人たちの願いなんだ。町子は僕たちの代わりにうんと幸せにならんばいかん。そやろ、母さん」

 

生き残った自分の恋人の幸せを願い、生きていくことを願う。生きているからこそ手に入れることが出来る、幸せを。
自分が死んでしまったことにどうしても納得がいかないように思えていた浩二が初めて、自分の死と、置いて行かれ尚も進む現在と、大切な恋人の存在と。全てにやっと折り合いがついたように思えた、大事な場面だった。


生きている人には希望を持って明日を生きて欲しい。それはきっと、戦争で死んで行った皆が抱えていた願いだったのではないだろうか。

 

 

  ⑧「少年たち~Born TOMORROW~」における主題とまとめ

冒頭でも提示したが、「少年たち~Born TOMORROW~」のテーマは

「戦争」
「友情」
「音楽やエンターテイメントが持つ希望の力」
「風化していく過去」

の四本柱だと思う。

Jail~を拝見したときには、もっと小さな世界で起きている善と悪、正義と悪、生と死という関係性の主題が目立った気がするのだが、今回その中から共通項として挙げられるのは生と死のみだと思った。若い「少年たち」の中に起きる葛藤や苦しみ、痛みといった泥臭くもあるものよりも、「戦争」というとても大きなテーマが提示されている。
更に言うなればその「戦争」というテーマも、「歴史から見る」ことと「身近な人間の死から見る」というふたつの視点が用意されており、どこか現実味に欠ける歴史をかなり迫真的に描いている。

平和ボケした現代の日本で、戦争を身近に感じたり見聞きする機会は確実に減っている。戦争体験の有無、そこに加えて、戦争学習の機会が減った世代という意味で「戦争を知らない世代」として舞台上に立つSixTONESとSnow Manを見て、果たして我々観客は何を感じ、何を考えるべきなのだろう。
戦争や争いを行うことの無意味さ、命を笑顔を心を無差別に奪われる悲しみ、怒り、「戦争」は過ぎ去っていなくなったものではなく繰り返されるものということ。
この舞台を見た人達が「戦争」について何も感じなかったわけがないと、わたしは信じている。


さらにJail~よりも「友情」という要素は強かったように思える。
Jail~は最後の最後まで対立を感じさせる場面が多く、それぞれのグループ内での友情(とは言っても、個人的にはそこにスポットは当てられていなかったように思う。あまり友情に頼って云々というものもなかったからだ)があった程度だが、「少年たち~Born TOMORROW~」では①でも述べたように、両グループの架け橋的存在が二組いたことや、ジェシーのいる戦場に乗り込んでいったときのジェシーと岩本の様子などからも、友情関係を前提とした厚い関係性があったように思う。
また、少年院内で過ごしていたときの様子を考えても、個人の対立やグループの対立などもあまり感じられなかった。その様子は、出所後の11人の職業関係を見ても明らかだろう。
「友情」があったからこそ、ジェシーは最後の最後に本来彼が持っていた優しい心を取り戻すことが出来たし、失ったはずの「友情」を棄てきることが出来なかった二人の涙に繋がったのだろう。


そして彼ら自身が、今もこれからも披露していくべき「音楽やエンターテイメントが持つ希望の力」だ。
戦後の日本を経済的に立て直した日本人は沢山いる。けれど、経済や物理だけで戦後の日本は元気を取り戻すことは出来なかった。過去に活躍した歌手や実際にエンターテイメントを楽しむことができる劇場の歴史についての解説を挟むことによって、過去どうやって日本が元気を取り戻したのかについて身を以て感じることが出来たのではないだろうか。
これもひとえに、この舞台の演出を手掛けたジャニー喜多川氏が原点とする舞台へのこだわりのひとつなのだと思う。幼いながらに戦争・戦後を体験した人が作った舞台だからこそ、「音楽やエンターテイメントが持つ希望の力」を「戦争」と並べた主題のひとつにして訴えたかったのではないだろうか。
戦争が日常にない現代のわたしたちとて、日々音楽とエンターテイメントに元気と勇気をもらっている。この記事を読んでくれているあなたなら、身を以て知ってくれていることだろう。


散々書いたが、「戦争」は過ぎ去った日々の中にだけある出来事ではない。今も世界のどこかで紛争や戦争、あるいはテロリズムなどによって命を落とす人がいてもおかしくはない。そしてこれからわたし達にその火の粉が降りかかってきても、決しておかしくはないのだ。
でも今の若者たちは「戦争」を知らない。ぼんやりと「よくないなあ」と思っているだけではダメなのだ。どうして「戦争」は起きるのか、「戦争」によって何が奪われるのか、どういう生活を送るのか。どんな側面からでもいい、「戦争」という出来事にどうか興味関心を持っていてほしい。今を生きる全ての人間たちが「過去の戦争」に興味を失ったその瞬間、世界はきっとまた「戦争」を始めてしまうだろうから。
過去は過去でしかない。過ぎた日々であることに何の間違いもない。でも、それが二度と繰り返されない時間であるという保証は、この世のどこにもない。
どうか忘れないでほしい、風化させないでほしい。かつてこの日本でも起きた「戦争」という、失われつつある歴史を。

 

 

  ⑨おわりに

わたしが想像していた「少年たち」とは違ったとは記載したものの、SixTONESとSnow Manにとっては三年目の公演。脱獄や少年院内での対立を通して「少年たち」が衝突しながら成長する物語ではないアプローチの方法に少し戸惑った。
これはこれでいいという感想は失礼かなと思うのだが、正直その一言に尽きる気がしている。ただ若さや青春を題材にするだけではなく、それを起点にして感じる「未知の感情」を描くのもまた、若さあってこその表現内容だと思うからだ。

少年院という場所を物語の中心に置くことで、世間からドロップアウトした存在がすぐに無き者にされないという日陰に注目した「少年たち」も心にくるものがあるが、「少年たち~Born TOMORROW~」で新たに加えられた「戦争」という大きなテーマを背負った「少年たち」が、日向の世界をどう生きていくかという未来への歩みもまた、希望と絶望に溢れていて何とも苦しい。
そう考えてみると、脈々と受け継がれてきた「少年たち」における大きな主題には「生と死」「希望と絶望」という二本柱が掲げられてもいいのでは、と思わずにはいられない。

また、今年の「少年たち~Born TOMORROW~」は、チケットが定価割れで譲渡されているという噂を聞いた。何故と思ったが、おそらく「三年目の演目」に飽きた人たちが手放すなどの行為に出ているのだろう。
わたしはこの事実に憤慨している。似たような演目だから、去年見たから、席が悪いから、「いいや」。そう思った人がどれくらいいたかはわからない。わからないけれど、まさにそれが「過去の戦争に興味を失う」という感覚に似て非なるものだと思うからだ。
同じ演目でも、出演者が同じでも、それを見たときに感じる感覚を「忘れない」「興味関心を失わない」ことが、戦争を知らない若い世代にできる戦争学習のひとつだというのに。それを自ずから放棄してしまうとは。
どうか見てあげて欲しい。席が悪くとも、似たような中身だとしても、舞台に立つ彼らが伝えたいことは何一つ色褪せていないはずだから。

これから大阪松竹座の公演と、地方公演が待っている。地方公演に選ばれた場所と順番は、かつて日本が空襲を受けた地とその日付順であるという。これがただの偶然と言えようか。
SixTONESとSnow Manによる三年目の「少年たち」。これを読んでくださった方が、また何かを考え直して「少年たち」を見ようと思うきっかけになってくれれば、幸いである。

 


…と、ここまででわたしが今年書きたかった「少年たち~Born TOMORROW~」に関する考察は終わりです。
大変、というか、Jail~とは比べようがないくらい長くなってしまいました。この挨拶まで読んでくれた画面の前のあなたには、感謝以外の言葉がありません、本当にありがとうございます。お礼に松村北斗くんのステフォをあげます。


たった一回しか見ることの出来なかった「少年たち~Born TOMORROW~」でしたが、やっぱりわたしは「少年たち」が好きだなあと実感することが出来ました。あの日勢いでPay-easyをキメたわたしを褒めたいです。

これから始まる大阪公演並びに地方公演の成功を祈って、〆させていただきたいと思います。
でも最後にどうしても書きたかった感想だけ書かせてください

 

 

ジェシーの軍服がマジで性癖

 

 

ありがとうございました~~~~!!!!!!!

 

 

かすみ(Twitter→@mist_storm_1723)