「無題」

綺麗なモブになりたい考察オタクの雑記録

嵐の「untitled」及び「未完」にワクワクが止まらないオタクの話

 

 

 

今日は何て事のない、ただ「オラわくわくすっぞ!」な話をしにきました。

 

来る2017年10月18日に、嵐のニューアルバム「untitled」が発売になります!めでたい!お祝いのお赤飯を炊こう!イエーイ!
というのはアルバムリリースが決まった時点でやっておけって話なんですけど

遡ること3週間、2017年9月24日のbaystormにて「untitled」リード曲の「未完」が初披露されました。
二宮くんどころか公式から「この日に流すよ~聴いてね~」という予告すらなかったあの日の一大事件に、わたしを始めとするオタクたちは大混乱。TLが大騒ぎです。

リード曲かっこいいね~!!相変わらず嵐はカッケ~な~~!!

 

 

…………………ちげー!!!!!!!!!わたしはそんな生ぬるい感想を言いたいんじゃない!!!!

 


というわけで、発売が待ちきれないオタクが妄想を織り交ぜて「『untitled』が楽しみすぎて吐きそう」という話をします。

 

 

 

 

今回「未完」が初披露となってTLでたくさん見かけた言葉があります。

「Endless Gameみたい!」
「truthっぽさもある!」

特に前者は死ぬほど見ました。自分がフォローしているしていない関係なく、RTでもたっっっっっっくさん回ってきました。
で、ここでわたしが言いたいのはただ一言だけです。口は悪いですが本当にこれだけです。


「ちげーわ!!!!!!!!!!!」


取り乱しましたすみません。

しかしそもそも、人間が感じた感覚を他人が否定しようというのはとってもナンセンス。だからここでわたしが「Endless Gameぽい!」と感じた方に対して「違う」と述べること自体、本来は間違っていると思います。
でもどうしてもこれだけは譲れない。

「未完」は「Endless Game」には似てない。


いや似てるから…と、それでも言う方はいるでしょう。それはそれで…と、他人に対して興味関心を深く持たずましてや他者が思考を操作しようなど愚かなことと考えている普段のわたしなら言っていることでしょう。
しかーし!何度でも言いますが、今回だけは絶対に譲りません。

では何故まだ手元にもなく、電波に乗ったのは、大人の事情で買い取られた(※金額は不明)枠で流してもらえたラジオと、先行公開されたPVの一部のみの曲に、どうしてわたしがここまで執着するのか?についてです。

 

端的に言いますと、今回のリード曲である「未完」が嵐の曲において最も新しく、尚且つ同系列の前例がない、という話です。

今までの嵐が発表してきた曲を見てみると、色んな種類の曲があります。一番多いのは分かりやすく王道且つ広義的なJ-POPであるという見解は間違っていないと思いますが、その他であげられる要素としては、ヒップホップ、R&B、ロック、辺りが目立つでしょうか。
特にメンバーの翔くんが作詞を手掛けることが多いラップ詞の存在があるので、嵐は比較的ヒップホップやR&Bの要素は強いように見えます。
去年のアルバム「Are you Happy?」のソロ曲に焦点を当ててみれば、大ちゃんの「BAD BOY」なんかは典型的なEDM(テクノ要素が強い気がした)だし、一口に嵐の音楽をJ-POPでまとめようとしても、どうしても細分化したくなってしまって、やや無理があるなあとは感じていました。

アイドルという概念の中で表現活動をしている彼らですが、昔の話を聞いたり、最近のメイキングなんかを見ていていつも思うのは「この人達ってすっごくロックだなぁ」でした。
歌詞の世界観におけるロック要素の神髄、果てはパンクやヒップホップにも繋がる反骨精神的な部分は、彼らが若い頃から今日までずっと、そしてこれからも腹の奥底でその炎を絶やすことなく存在するのだろうと確信しています。し、確信しているからこそ彼らのファンでいられて彼らの活動を今もリアルタイムで追いかけられることが本当に楽しいし幸せですね。

…と、話がやや逸れましたが。
とにかく、嵐の音楽活動に於いて「コレ!」というジャンルの特定をするのは非常に難しいところである、とわたしは思うのです。


だからこそ今までのシングルのように世間一般受けのいい爽やかで明るくていい曲から、ロックで勢いのある曲、メロウラップで纏められたバラード、ダークファンタジーな世界観を感じさせる曲、……例を挙げ始めたらキリがないですが、そんな風に色々な表現の振り幅を見せることが出来てきたのだと思います。

ではこれだけ色々なジャンルの曲を持ち歌として持つ嵐にとって「未完」が本当に新しいのか、ですね。
新しいです。断言してもいいです。新しいジャンルです。


わたしが「未完」を初めて聴いたときに感じたものは、間違いなく既知感でした。
エレクトロ、ダンス、クラシック…、ぱっと聴いただけでもこれだけのジャンルが混在しています。イントロで提示された拍子はわずか16秒で変わり、Aメロ(拍子の取り方が裏拍?)からサビ前が終わるとまたイントロと同じビートを刻んでサビに入る。変拍子に巻き込まれて何が何やら分からぬ内にサビが終わったかと思えば、いきなり弦楽器がメインとなるクラシック(モーツァルト/交響曲第40番第1章)が流れ始め、二番に入る直前にクラシックをバックにシンセが入り込んできて、力強い声、重なるコーラス…目を回している内に、今まで流れていなかったリズムと重低音に翔くんの低音ラップ(わたしはここの音にかなり原点的なヒップホップを感じた。ヒップホップ界で名を馳せたキングギドラ及びK DUB SHINE的な世界観を感じる)…。
この後繰り返されるラストの大サビ部分が、色々なものを目まぐるしく経て辿り着いたときにはもう既に違うものに聴こえはじめていた。

…と、曲の流れを書いただけでも溢れる「ナンジャコリャ」感。わかっていただけるだろうか。
ピンと来ないけど今すぐ確認したい方は「未完」音源を探して聴いてみてください。それか10月18日発売の「untitled」を買ってください!!!!オネシャス!!!!!シャッス!!!!!!!!!!


これだけの曲変化と様々な要素が混在する「未完」が「Endless Game」と同じ訳あるかいな

わたしはそう思いました。「Endless Game」ってちゃんと聴いてみると、シンセがバックで入ってたり力強い「HEY!」の声が共通していたりはするけれど、「未完」ほど変拍子の繰り返しはないし、音楽ジャンルのスラム街(…)でもないんですよ。わりと正統派J-POPなんですよ。そりゃそうだドラマ主題歌だもん。面白かったよね家族ゲーム。好きでした。
だから「Endless Gameっぽい!」という感想に対してはバッキバキに異論唱えたいんです。全然違うから!!と。

 

まあ音楽のジャンルからみる「未完」に対しての分析ってここまでくらいしか出来ないんですけど
ぶっちゃけわたし音楽全然詳しくないし
専門分野として勉強したこともないし
何ならもっと専門的に音楽を勉強している方にご指導いただきたいくらいです。

 

それでも「未完」に対して感じた既知感にもちゃんと理由はあります。
恐らくこれを読んでくださってる方のほとんどが知らないであろう、あるアーティストの存在がわたしに既知感を与えました。

自主的に自分の好きな音楽を探して聴き始めた頃からずっと聴いているアーティストなのですが、その人たちが音楽ジャンルとして掲げて活動していたのがプログレッシブ」というものでした。詳しいことはググってください。
簡単に説明すると「前衛的音楽」です。

ひとつのジャンルの音楽に縛られることなく、様々な音楽ジャンルが一曲の中に存在すると考えてもらえれば一番わかりやすいかもしれません。
「未完」で言うところの”テクノとクラシック””クラシックとヒップホップ”のように、本来ならあまり一緒にいることの考えにくいジャンルですらもその垣根を越えて今回「未完」という一曲に仕上がっていますよね。それってすごいことだと思いません?
「反骨精神」という共通項を持ちながらもロックの中にヒップホップが入れば「おお…」と思ったりしません?わたしは凄く思っちゃうんですけど

そういった音楽ジャンルの垣根をあまりにも大胆に越えて行った「未完」という曲は、今までの嵐には全く存在しなかったジャンルの曲だと思います。
初めてベイストで聴いたときにはあまりのかっこよさに鳥肌が止まらなかったし、室内でゴロゴロしていたにも関わらずわたしの周りには風が吹いていました。新しい攻めの「嵐」に巻き込まれたんです。間違いないです。

 

どうでしょう。
わたしが提示するところの「未完」と「Endless Game」の違いについて、わかっていただけたでしょうか。

わたしだってまさかデビュー18周年を迎える超国民的アイドルである嵐がプログレッシブというジャンルの曲をアルバムリード曲に持ってくるなんて思ってもみなかったし、「これめちゃくちゃプログレやんけ…………」と気が付いた時には、興奮の余り体中の血液が燃え滾っている感覚すら覚えました。熱き血潮。

エモい、エモすぎるぜ嵐。君たちは沢山の後輩のお手本となる優秀な国民的アイドルじゃなかったのかい。
そんな優等生な嵐が、こーーーーーーーーーーーーーーんなにも攻めの姿勢で提示してきた「未完」が入ってるアルバムなんて、最早期待とかそういう次元の話ではない。
日に日にハードル上げまくってるけど、その上げまくったハードルですら簡単に木端微塵にされそうで武者震いが止まりません。


そもそも「untitled」というアルバム名があんまりにもかっこよすぎて、発表された時に震えました。
ここにきての「untitled」って。あなた…あなたたちは…本当に……………(膝から崩れ落ちる)

(すっごく個人的な考えの話ですが、わたしは作品に「無題」と付ける・付いているのが好きです。本当に何も意味を持たせたくなくて、誰かに推測や想像すらしてほしくない拒絶の「無題」なのか、誰かに名付けてほしいもどかしさで「無題」とつけるのか、それとも深くも軽くもなくただ「無題」と名付けるのか……、想像すればするほど悶えます)

まぁこんな個人的な性癖ゆえの妄想もあって、今年の「untitled」は楽しみで仕方ないです。
「無題」に「未完」を突っ込んでくるって、どれだけ攻めてるんだ嵐は。本当に君たちは素晴らしいな。かっこよすぎるよ本当に!!!最高だぜ!!!!!

 

ここまでのこのエントリを読んで、嵐の「untitled」に興味が出てきたそこの君!
まだ遅くはないぞ、近くの書店やネットショッピングサイトに行って「untitled」をカゴに入れよう!予約しよう!通常版ならまだ予約は余裕があるはずだし、今回はなんとなんと通常盤に4組のユニット曲もついてくるぜ!
是非!!

 

 


早く2017年10月18日になってくれ~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!
頼む~~~~~~~~!!!!!!!!!!

 

「untitled」が待ちきれなくてしんどいオタクでした

 

 

☆おしまい☆

 

「少年たち~Born TOMORROW~」を見て

 

 

わたしが「少年たち」に出会ったきっかけは以前記したが、まさかこんなに早く生で見に行けることになるとは思わなかった。
地元のカラオケで「少年たち」を見て震えている過去のわたしに教えてあげたい。お前近々見に行くぞと。

 

mist-storm-177.hatenablog.com

 

ちょうど「少年たち」にハマり、ここから先にどうやってこの作品と対峙していくべきか、そんなことを考えあぐねていたわたしの元にひとつの情報が舞い込んだ。

「少年たち~Born TOMORROW~」を今年もSixTONESとSnow Manでやります!というものだった。

最初は「えっ行きたいな…」と思った程度だったのだが、この数日後に大本命である嵐×Sexy Zoneのワクワク学校二次応募に全滅、Sumeer Paradise2017も全滅となり、仕事帰りに車の中で泣いた。冗談抜きで涙ちょちょ切れた。
もう今年の夏はなんもないな、終わったな、早く夏終れよクソが…と荒れまくったわたしだったが「以前から迷っていた松村北斗名義でのPay-easyをキメれば『少年たち』を見に行けるのでは…?!」と思いついてしまった。思いついてしまったが最後、その天才的閃きに素直に従い、仕事の帰り道に寄ったロー○ンの駐車場ですぐに入会してPay-easyをキメた。そしてその日の内に応募。
無事当選したので、一公演のみ日生劇場にお邪魔することとなったのだった。


という事の運びはここまでにして、ここからは前回同様長い考察が始まります。まだ何文字書くかはわかりません。恐らく一万いくかいかないかで前回とあまり変わらないかと思いますので、覚悟して読んでください。(※ごめんなさい書き終わったら17000字超えてました)


・ここからなっがい考察が始まります。

・相も変わらずの論文調になるかと思いますし、堅苦しいかもしれませんが、お付き合いください。

・公演期間中ではありますが、考察の都合上物語のネタバレを含みます。ネタバレを回避したい方は、ご自身で「少年たち」の顛末を見届けてからまたこちらを読んでいただければ幸いです。


注意事項に関しては以前と変わりありません。
また、今回の考察を書くにあたって「少年たち~Born TOMORROW~」を観劇したのはたった一回のみですので、前回同様台詞や言い回しなどに誤植等あるかもしれません。が、ニュアンスでの齟齬が生まれぬように配慮して書くつもりです。
そのあたりに関するご指摘がある場合、お気軽にお声掛けください。

それでは長くなりますが、わたしの考える「少年たち~Born TOMORROW~」について記していきたいと思います。

 

 


「少年たち~Born TOMORROW~」におけるテーマは、

「戦争」
「友情」
「音楽やエンターテイメントが持つ希望の力」

そして

「風化していく過去」

なのではないかと思う。

前回の記事を読んでいただいた方には分かると思うのだが、この時点で「少年たち Jail in the sky(以下『Jail~』と表記する)」との差を何となく感じてもらえるだろう。
Jail~で描かれていた「善と悪」や「生と死」といったテーマとは少し毛色が違う。いいや、少しどころではない。とんでもなく違う。
同じ演目を背負っていながらこんなにも内容が違うことに、わたしはまず驚きが隠せなかった。
ここからは、最初にあげたテーマ性になぜわたしが辿り着いたのかについて、気になるところを拾い上げながら考察していきたいと思う。

 

 


①チームカラーと看守の存在から見る二つのグループの「対立」

注目していたチームカラーだが、SixTONESがオレンジ、Snow Manがグリーンだった。グッズ販売に並んでいたバンダナのイメージによる先入観か、てっきり赤と青で対立を表現するのかとばかり思っていたので、全く予想もしていなかったカラーで来たことに驚いた。
単純にチームカラーとして分かりやすい二色ではあるが、対立のイメージには直結しない。色相環から見てもやや補色になる程度で、印象で捉えるなら補色よりそれぞれがワントーン明るくなる(→色相環における対の位置から、互いに中央の黄色へ一歩向かう)感じ、というべきか。
オレンジとグリーンという二色は、あまり対立を深く感じさせない、マイルドなカラーだなと思った。

以前みたJail~のA.B.C-ZジャニーズWESTが赤と青でもっとはっきり対立を体現していたのとを比較で考えてしまったせいか、SixTONESとSnow Manの登場シーンから何となく場が穏やかで、殴り合いの喧嘩をしていても何故だかあまりヒリヒリした空気を感じない。
幕が開けてしばらくの間、何とも言えない違和感に包まれていた。それはJail~で見た「少年たち」の印象があまりに強かったせいなのか、対立の空気がピリピリと漂わない点に疑問を感じていた。


とは言え、二つのグループは少年院の中で抱える鬱屈とした感情をどうにかするため、殴り合いに明け暮れる。それは他の「少年たち」と比べても同じことだろう。
しかしここで重要なのが、看守の存在だ。

殴り合いをしているのが見つかれば、当然看守に殴られる。時に正当で、時に理不尽な看守からの罰を受けなくてはならないからだ。
勿論ここでも殴り合いの喧嘩は見つかり、看守から拳を振るわれた。が、ここでわたしはもう一つ驚くこととなる。看守が、いない。
わたし自身、Jail~の濱田のような存在になりうる、もしくはその程度に存在感を発揮する看守が出てくるのかとばかり思っていたが、どうやらそうではないらしい。確かによく考えてみれば、すでに舞台上には同数になる6人と6人で分けられたSixTONESとSnow Manが殴り合っていたのだった。
てっきり他のジュニアが登場するなりをして舞台上に看守という人間が増えるのかと思っていたが、その後も一切キャストが増えない「少年たち」。看守は天の声の宜しく声だけの出演である。

今回の看守の特徴は「冷静な現実」と譬えるべきか。
囚人に手をあげることはあげるものの、それは決して利己的な判断ではない。まともな折檻はあるものの、そこまで何か特筆するほど悪だ何だのアレコレがない。
つまり、悪でも敵でもないのが今回の看守の特徴なのだと思った。極めて中立的で、俯瞰的で、一見冷酷にも見えかねないほど冷静な、そんな描き方だ。

また、中盤に登場する一場面。おそらく、Jail~で橋本と桐山が対立を深めて問題を起こすように濱田が仕向けたボイラー室の掃除の場面が、「少年たち~Born TOMORROW~」では、全員で戦争資料室の掃除・整理整頓となっている。看守の指令とはいえ、やはり「対立」が重要項目のひとつに掲げられていないということが、この場面からでも十分に窺える。

Jail~では対立するA.B.C-ZジャニーズWESTの間に立ち、二つのグループの対立を更に深める極悪看守がいたおかげ(せい?)で、赤と青に分かれた両者の対立がメインテーマのひとつに大きく関わってきていた。
しかし、オレンジとグリーンに分かれたSixTONESとSnow Manは、看守不在の関係性の中で対立を深めることなく、やや浮遊感の漂う関係性のまま物語が進んだのではないかと考えられる。

更に付け加えるならば、ジェシー・岩本、松村・深澤のように、SixTONESとSnow Manを繋ぐ関係性がふたつ存在するのも「対立」の要素を薄くする一因と言えよう。共に良好な関係とは言えないが、Jail~では見られなかった関係性である。
この関係性があってか、劇中で「ジェシーが作り岩本に聴かせられなかった歌」として歌われた「♪君にこの歌を」をきっかけに、二組の対立はあっさりと解消されたように思える。

つまり「少年たち~Born TOMORROW~」において「対立」という関係性は、あまり重要視されていないものであるとわたしは考察する。

 

②それぞれの入所理由

Jail~では一人一人明確に犯罪を犯した経緯、理由、犯罪内容が必ず物語上で語られた。中にはコントの時間を使って犯罪を犯した瞬間を描いた者もいた。
勿論舞台となっているのは少年院なのだから、そこに入るべき理由が全員にあるはずで、それは一人一人の人物像を掘り下げる過程で欠かせないものになる訳だから、語られるべき点である。
では「少年たち~Born TOMORROW~」ではどうだったのか。

ここにまた大きな驚きがある。ほとんど、語られないのだ。
今回の「少年たち~Born TOMORROW~」における主人公はジェシーと岩本になるわけだが、舞台を見ていて分かったのは以下である。


ジェシーと岩本はかつて同じバンドのメンバーだったが、二人は誤解の末仲間割れした
・その後岩本は悪い奴らとツルみ、その結果少年院へ入る
ジェシーも悪さをして少年院に入る

・Snow Manは全員音楽をやっていた(同じバンドか別バンドかについては語られない。恐らく別バンドではないか)
・Snow Manはそれぞれの経緯を個別に語られることはないものの、殺人や殺人未遂で少年院に入れられた

SixTONESは京本以外入所理由を語る場面はない
・京本は「施設に居た頃、両親の悪口を言われ激昂し人を殴った」という理由で入所


こうして並べてみると、明確な経緯と理由、犯罪内容がすべてそろっているのは、日記少年にあたる京本だけなのだ。
純粋に疑問が多く残った、というのが素直な気持ちである。何故舞台を少年院に設定しておきながら、少年院に入所する理由がこうまでして語られないものなのか。ましてや物語の中枢人物にあたるジェシーと岩本に関しては、過去の友情の芽生えから関係性の破綻までがドラマチックに描かれているのに、関係が破綻してからの説明がどうにも雑である。ざっくりと「ちょっと悪いことしちゃいました」と言わんばかりのあっさり具合で済まされてしまっており、こちらとしてはどうにも消化不良だ。

こんなにも理由がぼんやりとしていたなんて。なんて宙ぶらりんなのだろう。
そう思わずにはいられなかったが、ここからは①で述べた「対立」に関する意見も含めた考察を述べたい。


まず、ここまで入所理由がぼんやりとしている理由はふたつ考えられる。

ひとつは、今回の「少年たち~Born TOMORROW~」において「少年院」という場所自体が最重要視されていないこと。
これは更に以下で述べていく「戦争」という主題に関わってくることなのだが、Jail~と比較したときに、物語の主題性の「生と死」という大きな軸でブレは感じられないものの、それが「少年院内」におけることなのか「世界」におけることなのか、スケールの違いがまず挙げられる。
少年院内だけで発生し消化できる問題であったならば、二組のグループを対立させてそこに様々な意味を持たせることに納得ではあるが、今回の主題はあくまで「戦争」に関するものである。「少年たち~Born TOMORROW~」において「少年院内」という狭い世界は彼らにとっての世界の「全て」ではない。強いて例えるならば、ただひとつの国家だ。国家の内部を開けてみれば、見知らぬ者、見知った者、相性が良い者、相反する者、血の繋がらない者、血の繋がっている者。色々な繋がりでいずれはひとつに繋がっていく、一国家内の人間関係の縮図とも言えよう。

ふたつ、今回の「少年たち~Born TOMORROW~」は、「『今』と『自己』の葛藤から『未来』に向き合う『少年たち』」を描くものであること。
言うなればJail~は、「『過去』と『自己』の葛藤から『今』に向き合う『少年たち』」だった。ここでの明確な違いは、自己と葛藤する時間軸のずれ、その地点から見える先の時間軸のずれ、である。
勿論ジェシーと岩本の関係性から分かるように、過去に囚われて対立を続ける者もいる。しかしその二人を除いて見てみると、意外にも皆が皆過去に囚われているということもない。むしろ少年院内における生活、関係性の再構築に重点が置かれていることを踏まえてみれば、それがどう考えても過去ではなく今を生きていることの証拠だと言えよう。

「少年たち~Born TOMORROW~」のスケールが「少年院」という場所に留まらないこと、「過去」でなく「未来」を生きる若者を描くこと。
このふたつが今回の「少年たち~Born TOMORROW~」で重要視されているということから、入所理由はあまり詳しく述べられることはなかったのだろうと、わたしは考える。

 

③時代設定の浮遊感とジェシーの徴兵制度

今回の「少年たち~Born TOMORROW~」に「戦争」というキーワードが欠かせないのはもうお解りかと思うが、ここで気になるのは「時代背景」である。
「少年たち」が、恐らく現代を生きている若者たちであろうということは分かるのだが、明確に何年の出来事と語られる場面はない。
それは中盤に出てくるジェシーの出所及び徴兵制度にも共通していることなのである。

きっかけは看守による特別な罰(※「全員懲罰房に入れようと思ったが、懲罰房の数が足りないから一週間飯抜き!」ということからも、二組に対しての私怨やからかいといったものを感じない)で、戦争資料室を掃除することから始まる。

この舞台を観劇していたわたしは、掃除の最中に資料を手に取った「少年たち」の一言で、どうしても忘れられない言葉がある。


「スゲー!全部白黒だ!」


なんのこっちゃ、当たり前の感想ではないか。と、皆さんは思うだろうか。
それはそうだ。これを書いているわたしを含め、出演者、これを読んでくださっている方の中に平成生まれの方は沢山おられるだろうし、たとえ昭和生まれだったとしても、白黒の写真ばかり撮られて大人になったという人はもう少ない世代だろう。
つまり、この「スゲー!全部白黒だ!」という言葉が当たり前のように出てくる世代というのは「カラーで写真を撮ってもらう・撮るのが当たり前で育った世代」なのだ。それが何を意味するかなど、単純明快。戦争を知らない世代の暗喩だ。
SixTONESとSnow Manからごく当たり前の、普通の感想として飛び出した「スゲー!全部白黒だ!」という一言は、「2017年に20歳前後」という現在の彼ら自身、更には観客にあたるわたしたち、つまり「現代の若者」の象徴であり体現なのだ。

ここからはある程度の年齢層を想定しての考察を述べたい。その為にこの物語の主役であるSixTONESとSnow Manに年齢層のスポットライトを当てて話していく。

今の若者(※ここでは20歳前後を想定する)の両親、祖父母、と辿って行ったとき、単純計算でそれぞれが20歳前後で出産を経験していた場合、若者の祖父母は大体60歳前後になる。今年日本は戦後72年を迎えた。これがどういうことかお解りいただけるだろうか。普通に暮らしている生活の中で関わりを持てる範囲で考えた時に、自分たちよりも遥か昔を生きていた人間たちですらもう、戦争を経験していないのだ。
身の回りの年上の方々に話を聞いた実体験を含めて話せば、現在30代に当たる方の祖父母だと実際に赤紙を貰ったという人もいた。でも皆が皆貰っていたわけでもない。その方の父親が、歳の離れた兄が、という話も多くなってきた世代だと感じる。終戦間近の戦時中にまだ赤ん坊だった、というケースが多いようにも感じられる。
実際に祖父が徴兵されていた人などは、機会があれば昔から「あの時はな…」と話されることがあった、という話も耳にした。しかしもうそのように体験談を話してくださる方も減っている。それは勿論、その体験談を聞かされる人間が減っているということでもある。

自分の身内に戦争体験者がいない、身近ではない、関わりがない、教科書の出来事でしかない。それが今を生きる「若者」の実態なのだ。
そして「少年たち~Born TOMORROW~」の舞台上にいるSixTONESとSnow Manこそ、その「若者」の象徴である。


ここで一度、ジェシーの徴兵について触れておきたい。
ジェシー自身、父親がアメリカ人、母親が日本人という略歴の持ち主ではあるが、この物語の中では明確に国名が明かされることはない。先に述べた通り時代設定も明確にされていないし、物語の中心となるジェシーの出身も明確なものがない。看守に「戦況が変わった」と告げられるものの、どことどこの戦争で、どれからどのように戦況の変化があったのかもこちらは分からない。
ただ分かることは、資料室で「少年たち」が実際に目にした写真にあったように、未来ある若者が戦争の為に兵士になるという現実だけ。


こうして考えてみるとどうだろう、時代設定も明確なものがない、出生地も、見たことのない国の様子も、戦争も。全てに明確な現実性や数字がないことがわかる。
そういったものがないと物語の真意がつかめない、謎が多い、入り込めない。それはそれで正論だが、逆にその「ぼんやりとした感じ」こそが受け取り手に託された解釈の余地であり、これがただ一瞬の、後にも先にもその瞬間にしか起き得ない「出来事」のひとつではないことを示しているのではないか。

つまり、SixTONESとSnow Manによって演じられた明確な時代設定がないこの舞台は、過去に於いても未来に於いても、ましてやこの今という瞬間にも成り得る「嘘のような現実」なのだ。
この舞台を見ていたわたしですら、舞台の上に立つ若者、「少年たち」と同じだ。戦争は遠い昔の話、教科書に載っている話、今も遠いどこかの国で起きている「嘘のような現実」、自分には降りかかることのない火の粉。ただ、そういった現実が確実にどこかにはあって、苦しんでる人がいて、悲しんでる人がいて、どこかで無数の命が消えゆくことも何となく感じている。

そのような現代の若者が抱える感覚というべきか。時代設定やプロフィールに存在する隙が、どうにも若者たちが抱える感覚に通ずるものに思えてならない。
かつて芥川龍之介が「ぼんやりとした不安」を感じて服毒自殺をしたように、今の若者が抱える感覚はどうにも明るくない。ただ分かりやすい絶望、たとえば戦争に兵士として特攻隊員として徴兵されるようなものがないだけで、どことなく「明日は我が身」という感覚を捨てきれずに平和な時代を生きているように思える。

ただそんな若者でも、「少年たち」のように戦争資料を見て「戦争は良くないな」「こうやって争うことは無意味だな」「もっと何かあるはず」と感じることに間違いはないだろう。京本のように、ジェシーのように。


つまり、「少年たち」が生きている時代設定の不明確さ、ジェシーの徴兵制度に関するぼんやりとした情報は、物語上に登場する戦争がただひとつの「過去の事件」を指すものではなく、わたし達が生きている今現在や未来にも起きうる「現実」の仮想性を孕んだ、いつどの時代でも共有できる事実を表現するために用意されたものであるとわたしは考える。

 

④全員の出所と歴史の中における戦後

舞台はジェシーの出所と並びに徴兵、訓練の場面後に休憩を挟み、演出上はこの休憩の間に「少年たち」は無事全員が出所したことになっている。
そして出所後はそれぞれが職に就いている。以下、一覧だ。


佐久間・安部・渡辺 → ライブハウス経営
京本 → 音楽プロデューサー
宮館・森本 → ダンサー(劇場)

松村・深澤 → 戦場カメラマン
田中・高地 → 戦争資料館の学芸員

岩本 → アマチュアシンガー?フリーター?


戦場に赴いたジェシーと因縁の仲の岩本はさておき、他のメンバーは全て「エンターテイメント」か「戦争」に関する職業に就いていることがわかる。
「エンターテイメント」組は劇中で、実際の第二次世界大戦後の日本における歌手、音楽、劇場、舞台といったものの解説をしており、戦後の日本に生まれたエンターテイメントによってどうやって日本が元気になっていったかを表現している。
一方で「戦争」組は、戦時中の他国からの攻撃やその当時の日本の対応などに関する資料を、回想劇を取り入れて表現した。空爆の様子、逃げ惑う人、防空壕、敵国による伝単、死にゆく人、生き残った人、日本軍部の対応。伝単に関する解説では、当時の日本において思想統制が存在することについても触れられている。これは後に述べる戦場におけるジェシーの生き方にも関わってくることなので、思想統制という言葉は頭の片隅に置いておいて頂きたい。

両者が表現する中身は違えど、伝えたいことは「風化していく歴史」に関することだ。
戦後72年も経った今、日本は戦争のことを忘れ始めている。いつかあった遠い昔話、と捉える若者は沢山いるのだろう。いや、日本全体がそうなってしまっていると言っても過言ではない。
それをどういった形で語り継ぐのか、学ぶのか、知るのか。そういったことを訴えたいのではないかと思う。

また、項目④の考察において出所と戦後を並べたのは、共に「未来への希望」や「生きることへの希望」を持つ要素だと感じずにはいられなかったからだ。わたしはこの舞台を見る上で、無意識的に「出所と戦後」に対して希望を見出していたのだと思う。

 

⑤戦場におけるジェシーの生き方

少年院に入る前、少年院内で生活していたとき、ジェシーは音楽が大好きな心優しい青年だった。徴兵令を受けたときも「これが決まりだから」と言って諦めたようにそっと呟き、入隊していった。
彼が変わったのは、間違いなく戦場に赴いたとき、いいや、もしかしたら訓練で銃を握らされていたときからだったのかもしれない。
軍に入隊して軍服に身を包み、銃を発砲する。自分の手で、自分の意志で、人を殺す為、に。

戦地で銃を握り、たった一人の偵察隊として戦場を動き回るジェシーは、万が一敵と遭遇したら即座に処分しなければ、自分の命はおろか、自分が属する軍隊にまで迷惑がかかってしまう。戦況は不利になり、生きて帰れば責められ、死んで帰っても責められ、だろう。
戦地における基本的なことだ。それはジェシー自身が一番よく分かっていたはずなのに、相手の偵察隊が自分よりも年下の小さな少年だということを知ったジェシーは発砲するのを躊躇った。こんなにも幼い命を自分が奪っていいはずがないと、優しいジェシーは考えたのだ。

わたしは少し安心した。
ひょんなきっかけから「戦争」という過去を知り、自分たちなりに考え、向き合い、生きることの尊さを知った彼が、戦場に赴いてもその優しい心を忘れることはなかったから。
ジェシージェシーのままだった。優しいままだったのだ。


やがて時は経ち、戦場カメラマンとして先に戦地入りしていた松村・深澤を追いかけるように、学芸員となった田中・高地が中心となって戦場への取材許可をとり、皆でジェシーを連れ戻そうという計画を練る。無事許可は下り、危険な戦地へ向かう11人。
しかし皆がジェシーを見つけた頃には、ジェシーはすっかり人が変わっていた。平気で人を殺し、人を殺したことで得た勲章に誇りを持ち、戦場で他人を殺して生き残ることを最善の策だということをすっかり盲信していた。
どうしてあんなに優しかったジェシーが、と思わずにはいられない。

ここまでややあらすじになってしまったが、「少年院に居た頃~戦地に派遣されたばかりの頃~戦地で戦っている頃」の時間の経過と状況の変化と共にジェシーの心境と人格が少しずつ変化していっていることが大事なので、少しばかり目を瞑ってほしい。
ただ優しく笑顔が絶えなかった彼が、その優しい心と自分が置かれた状況に戸惑い葛藤し、やがてはその優しかった心も忘れて人殺しになり、更に人を殺すことが「やってはならない事」から「優秀な戦績」に変化している。物語の流れとしては当然なのかもしれないが、ここまで見ていて、舞台上の登場人物たちに感情移入しているわたしは正直苦しかったし、信じたくもなかった。あんなに優しかった彼が、人を殺したことを誇示するような人間になってしまったなんて。
ああまさか、と思った。思ったが、その直後に「これが戦争なんだ」と気付かされた。

項目④で触れた思想統制だが、戦時中の日本で当たり前となっていた思想や行動は全て国家や軍隊による操作でしかない。平和に生きたい、命を守ることが何よりも大切、と考えている日本人を「非国民」と扱い、そういった「非国民」な人間は全て憲兵により刑務所へとぶちこまれた歴史がある。真っ当な国民である為には、政府や軍の言うことを正しいと思い、信じ、行動することを強いられたのだ。
ましてやこのような考え方に加えて、戦地にいる精神状態を加味してみれば、人間が狂うのも当たり前だ。さっきまで隣で話していた人間が数秒後には死体になっている。横にあったはずの人間の腕が足が頭が、一瞬で無くなる。それが日常となれば、嫌でも「他人を殺してでも生き残らねば」といった強迫観念に襲われてしまうはずだ。

勿論、平成を生きる若者達は感覚としてそんなことは知らない。知る由もないのだ。
しかしこの思想統制・洗脳・強迫観念といった精神状態が戦争になったら人間の中に自然と起きることを、戦争を学んだ11人はよく分かっていた。よく分かっていたからこそ、自分たちの言葉でジェシーを説得したかったのだろう。

歴代の「少年たち」で歌い継がれてきた「♪嗚呼思春期」という歌がある(今回はSnow Manによるバンド演奏での披露)。
風が吹き荒れる中で「少年たち」が必死に、心の底から叫ぶように歌うのだが、その間奏中の「バッジをつけてる奴が偉いのか?」という台詞がここにきて胸を締め付ける。
少年院にいたころは皆が本当にそう思っていたはずなのに、戦場にいるジェシーはとても誇らしげに「見ろよこの勲章!俺は沢山人を殺したんだ!」といって満ち足りたように笑っていた。


戦場にいるジェシーは、もう昔のジェシーではない。優しくて、音楽が大好きで、みんなのことを笑顔にしてくれるジェシーは、徴兵された時に既に死んでしまったのだ。
でもこれは彼だけに起こった不幸ではない。遥か昔から戦争の絶えない世界中で、いつの時代でも必ず同じような人間はいる。今もそうやって狂っていく人間が世界のどこかにいるかもしれない。
SixTONESとSnow Man、12人の世界の中で起きた悲しい話。それは変わることのない確かな事実だが、このジェシーの戦場での生き方すらもまた、わたし達が生きている今現在や未来にも起きうる「現実」の仮想性を孕んだ、いつどの時代でも共有できる事実を表現するために用意されたものでしかないのだ。

 

ジェシーの死

ジェシーの死は果たして、何だったのか。

ここで再びJail~と比較してみる。
Jail~で死んだのは戸塚のみで、戸塚の死んだ要因は脱獄する仲間の手助けがメインだったように思う(ここについてはJail~の記事で掘り下げているので、ここでは最たる部分のみを要因として扱う)。つまり仲間を助けるための自己犠牲だ。自己犠牲による死だ。
ではジェシーはどうか。彼は戦場で仲間に説得されている内に銃で撃たれて死んでしまった。これは自己犠牲による死ではない。まず「自己犠牲による死かどうか」について、戸塚とジェシーは全く別のベクトルを向いた「死」であることは分かっていただけると思う。

戸塚の死というものはあくまで「戸塚個人の死」でしかない。それは彼の自己犠牲概念に基づいた行動であるからだ。
一方ジェシーの死はというと、「ジェシー個人の死」に見えるが、実はそうではない。


少年院内にあった戦争資料室で誰かが「こんな若い子が?」「俺たちと同じくらい」「俺らより若い子もいる」と喋っていた。戦地に赴く前の集合写真などを見ての感想であると思われるが、果たしてその写真に写った人間の何人がその戦火を潜り抜けて生き残ったのだろう。恐らく、ほとんどが亡くなったのではないか。
「ここに写る人のほとんどの人が戦争で亡くなってしまったのかも」という感覚は、あのとき資料室にいた12人全員、いや、観客であるわたし達にも共有出来たものだと思う。写真に写るのは自分たちより若い人たちで、昔の話で、どこか他人事で。そういった感覚がありながらもあの場にいた全員が「死」という感覚を頭のどこかで捉えられたと思う。
ではここからは舞台上にいた12人、いや、11人に絞って話を進めていきたい。

資料の中にしか存在しなかった戦争。自分たちにとっては遠い話だった過去の出来事が、今彼らに「ジェシーの死」として降りかかった。彼らはそれをどう受け止めたのか。
顔も名前も、年齢も、生活の様子も、人柄も、何にも知らない人たちの話だったはずなのに、自分たちと同い年くらいで、現在の話で、彼らにとって大切な人で。遠い存在だった「戦争」が、風化し始めていた「歴史」が、こうやって身近に今として存在する恐怖を、現実を、悲しみを携えて、突然彼らの目の前に現れた。それが紛れもない「現実であり事実」だと、彼らは思い知らされることとなったのだろう。

11人にとってジェシーの死は「ジェシーの死」でしかない。個の死だ。
しかし「ジェシーの死」というのはジェシー個人の死であると同時に、かつて日本で起きた戦争で亡くなっていった人たちの死でもあり、今この瞬間世界のどこかで戦争に巻き込まれて死んだ人達の死でもある。事実として捉えるならば個人の死でしかないが、この物語上において「ジェシーの死」は「戦争で死んだ人達」の象徴でもあるのではないか。
戦場で撃たれたジェシーの死は、戦争そのものの被害者すべての体現である。死んで良かったはずのない命の権化だ。


こうして考えてみれば答えは明確だ。
ジェシーの死」は「戦死者全ての死の象徴」なのだ。

 

⑦「~Born TOMORROW~」をどう訳す

この公演が決まり、副題が発表された時からずっと気になっていた。
「~Born TOMORROW~」。これをどう訳して解釈するべきなのかと。

自分自身日本文学・日本語の分野は専門分野なのだが、英語はしこたま苦手なのでこれは困った。日本語を扱う時間は長かったが英語はどうにも。ニュアンスでしか感じ取れない。
という、ポンコツ具合を前提としてほしい。むしろ英語得意な方がいたらここについては色々教えて欲しいものだ。

bornはbear(動)の過去分詞形となり、「生まれた、生じた」「生まれながらの、先天的な」「~で生まれた、~の身分として生まれた」といった訳し方になる(goo辞書より)。
前後につくものによってその訳は変わるが、大きくとらえて「生まれた」という過去形のもので概ね間違いはないだろう。何度も言うが詳しい人がいたら本当にすぐに教えていただきたい


という、辞書的な話はこれくらいにしておいて。

最初にこの副題を見たときにわたしは「明日を生きろ」といったニュアンスのものなのかと思った。何度でも言うがわたしは英語ができない。
それまでこの2グループで公演していた「少年たち」がここまで戦争に関わるものだとは知らなかったし、てっきりJail~のような脱獄物かと思っていたのだ。
しかし「生きろ」ではborn本来の意味とは異なる。しかし「明日に生まれた」では何だかおかしい。
さて、ではこの「~Born TOMORROW~」をどう訳せばよいのか。

「生まれた」という意味で使われるならば、「誕生」という言葉もニュアンス的には近いのかと思う。が、この舞台に於いて「誕生」という要素はどこにもない。再生と死は存在するが、何かが新しく生まれることはない。
また、生に関する単語ならば「生きている」「生存する」という「live」などもある。未来を指す「明日」と、過去を指す「生まれた」を横並びにしているのは、文法的に考えても謎だ。時間軸の不一致に当たるのではないか?詳しい人教えて、もしこれが平気ならそれはそれでということにさせてください

それから、動詞が先頭にくるということは、命令形…ということでいいのだろうか。そうすると更に謎は深まってしまうのだが、これも疑問に思ったことなのでここに書き残しておく。


それではここからは、文法的なことや本来の使い方などの細かいことはある程度抜きにした考察になる。

この副題、「~Born TOMORROW~」は一体誰からの言葉なのか。誰からでもない12人に向けられたものなのか、誰か一人からの言葉なのか、それとも12人全員からの言葉なのか。
②の項目でも書いたが、わたしは今回の「少年たち」を「『今』と『自己』の葛藤から『未来』に向き合う『少年たち』」と分析している。「今」と葛藤して「未来」に向き合うということは、彼らが生きるべき瞬間は実は「今」ではなくて「未来」なのだ。それはこの11人、いや、12人に限ったことではない。ジェシーの死が「ジェシー個人の死」ではないように、このメッセージ自体が彼らを発信地としてこの舞台を見ているわたしたちに向けられているのではないだろうか。
「明日に生まれた」は直訳になってしまうが、やはりこの「~Born TOMORROW~」は「明日に生きろ」「明日に生まれろ」という訳し方をするのが最良な気がしてならない。

「明日に生きろ」「明日に生まれろ」。
戦争によって奪われる命、奪われた命。そんな他人事だと思っていた出来事が身近に起き、生命についての在り方、存在意義など、「少年たち」は何か考え直したはずだ。そんな舞台上の彼らを見て、観劇していた人間が何も思わないはずがない。と、わたしは信じている。
偶然に偶然が重なり尊い生命を手に入れたこと、今日一日を生きるということ、明日必ず生きられる保証はないこと、明日をまた生きることは奇跡だということ。
この作品内でジェシーの死は「戦死者全ての死の象徴」として描かれているのではないかと先述した。”個人の死”に留まることのないジェシーの死があり、それを踏まえるとこの「明日に生きろ」というのは、先に亡くなったジェシーから11人に向けた言葉ではなく、戦争で亡くなった全ての人達の思いを乗せた言葉なのではないか。
つまり「明日に生きろ」「明日に生まれろ」というのは、「明日また新しい自分であれ」「明日もまた生きて、新しい未来を、世界を、自分を」という、未来への希望を託した言葉なのではないか。そしてそれはわたしたちが自分自身に向けて言い聞かせたい言葉でもあり、もしかしたら、ジェシーのように戦火で命を落とした人たちからの思いなのかもしれない。


余談だが、嵐の二宮和也が「母と暮せば」という作品において長崎原爆で亡くなった青年、福原浩二を演じている。幽霊の姿で母の前に現れたり消えたりするが、最後に、心残りだった恋人への思いを語る場面でこう言っている。

「町子が僕の嫁として一生母さんの世話をして暮らす。母さんは幸せだし、僕もうれしい。そやけど、それは間違っとるな。僕はもうこの世の人間ではなかとやけん、町子は僕のことを忘れて誰か良い人を、できたら僕よりもっと素敵な人を。…うぅん、そげん人なんておらんとは思うよ、おらんとは思うけどでも、もし、もしおったら…いや、おらんとは思うよ、でも…おったら…その人と結婚するべきだ。僕や母さんは寂しくても我慢する、それが町子への愛なんだ。町子が幸せになって欲しいていうのは、実は僕だけじゃなくて、僕と一緒に原爆で死んだ何万人もの人たちの願いなんだ。町子は僕たちの代わりにうんと幸せにならんばいかん。そやろ、母さん」

生き残った自分の恋人の幸せを願い、生きていくことを願う。生きているからこそ手に入れることが出来る、幸せを。
自分が死んでしまったことにどうしても納得がいかないように思えていた浩二が初めて、自分の死と、置いて行かれ尚も進む現在と、大切な恋人の存在と。全てにやっと折り合いがついたように思えた、大事な場面だった。


生きている人には希望を持って明日を生きて欲しい。それはきっと、戦争で死んで行った皆が抱えていた願いだったのではないだろうか。

 

⑧「少年たち~Born TOMORROW~」における主題とは

冒頭でも提示したが、「少年たち~Born TOMORROW~」のテーマは

「戦争」
「友情」
「音楽やエンターテイメントが持つ希望の力」
「風化していく過去」

の四本柱だと思う。

Jail~を拝見したときには、もっと小さな世界で起きている善と悪、正義と悪、生と死という関係性の主題が目立った気がするのだが、今回その中から共通項として挙げられるのは生と死のみだと思った。若い「少年たち」の中に起きる葛藤や苦しみ、痛みといった泥臭くもあるものよりも、「戦争」というとても大きなテーマが提示されている。
更に言うなればその「戦争」というテーマも、「歴史から見る」ことと「身近な人間の死から見る」というふたつの視点が用意されており、どこか現実味に欠ける歴史をかなり迫真的に描いている。

平和ボケした現代の日本で、戦争を身近に感じたり見聞きする機会は確実に減っている。戦争体験の有無、そこに加えて、戦争学習の機会が減った世代という意味で「戦争を知らない世代」として舞台上に立つSixTONESとSnow Manを見て、果たして我々観客は何を感じ、何を考えるべきなのだろう。
戦争や争いを行うことの無意味さ、命を笑顔を心を無差別に奪われる悲しみ、怒り、「戦争」は過ぎ去っていなくなったものではなく繰り返されるものということ。
この舞台を見た人達が「戦争」について何も感じなかったわけがないと、わたしは信じている。


さらにJail~よりも「友情」という要素は強かったように思える。
Jail~は最後の最後まで対立を感じさせる場面が多く、それぞれのグループ内での友情(とは言っても、個人的にはそこにスポットは当てられていなかったように思う。あまり友情に頼って云々というものもなかったからだ)があった程度だが、「少年たち~Born TOMORROW~」では①でも述べたように、両グループの架け橋的存在が二組いたことや、ジェシーのいる戦場に乗り込んでいったときのジェシーと岩本の様子などからも、友情関係を前提とした厚い関係性があったように思う。
また、少年院内で過ごしていたときの様子を考えても、個人の対立やグループの対立などもあまり感じられなかった。その様子は、出所後の11人の職業関係を見ても明らかだろう。
「友情」があったからこそ、ジェシーは最後の最後に本来彼が持っていた優しい心を取り戻すことが出来たし、失ったたはずの「友情」を棄てきることが出来なかった二人の涙に繋がったのだろう。


そして彼ら自身が、今もこれからも披露していくべき「音楽やエンターテイメントが持つ希望の力」だ。
戦後の日本を経済的に立て直した日本人は沢山いる。けれど、経済や物理だけで戦後の日本は元気を取り戻すことは出来なかった。過去に活躍した歌手や実際にエンターテイメントを楽しむことができる劇場の歴史についての解説を挟むことによって、過去どうやって日本が元気を取り戻したのかについて身を以て感じることが出来たのではないだろうか。
これもひとえに、この舞台の演出を手掛けたジャニー喜多川氏が原点とする舞台へのこだわりのひとつなのだと思う。幼いながらに戦争・戦後を体験した人が作った舞台だからこそ、「音楽やエンターテイメントが持つ希望の力」を「戦争」と並べた主題のひとつにして訴えたかったのではないだろうか。
戦争が日常にない現代のわたしたちとて、日々音楽とエンターテイメントに元気と勇気をもらっている。この記事を読んでくれているあなたなら、身を以て知ってくれていることだろう。


散々書いたが、「戦争」は過ぎ去った日々の中にだけある出来事ではない。今も世界のどこかで紛争や戦争、あるいはテロリズムなどによって命を落とす人がいてもおかしくはない。そしてこれからわたし達にその火の粉が降りかかってきても、決しておかしくはないのだ。
でも今の若者たちは「戦争」を知らない。ぼんやりと「よくないなあ」と思っているだけではダメなのだ。どうして「戦争」は起きるのか、「戦争」によって何が奪われるのか、どういう生活を送るのか。どんな側面からでもいい、「戦争」という出来事にどうか興味関心を持っていてほしい。今を生きる全ての人間たちが「過去の戦争」に興味を失ったその瞬間、世界はきっとまた「戦争」を始めてしまうだろうから。
過去は過去でしかない。過ぎた日々であることに何の間違いもない。でも、それが二度と繰り返されない時間であるという保証は、この世のどこにもない。
どうか忘れないでほしい、風化させないでほしい。かつてこの日本でも起きた「戦争」という、失われつつある歴史を。

 

⑨おわりに

わたしが想像していた「少年たち」とは違ったとは記載したものの、SixTONESとSnow Manにとっては三年目の公演。脱獄や少年院内での対立を通して「少年たち」が衝突しながら成長する物語ではないアプローチの方法に少し戸惑った。
これはこれでいいという感想は失礼かなと思うのだが、正直その一言に尽きる気がしている。ただ若さや青春を題材にするだけではなく、それを起点にして感じる「未知の感情」を描くのもまた、若さあってこその表現内容だと思うからだ。

少年院という場所を物語の中心に置くことで、世間からドロップアウトした存在がすぐに無き者にされないという日陰に注目した「少年たち」も心にくるものがあるが、「少年たち~Born TOMORROW~」で新たに加えられた「戦争」という大きなテーマを背負った「少年たち」が、日向の世界をどう生きていくかという未来への歩みもまた、希望と絶望に溢れていて何とも苦しい。
そう考えてみると、脈々と受け継がれてきた「少年たち」における大きな主題には「生と死」「希望と絶望」という二本柱が掲げられてもいいのでは、と思わずにはいられない。

また、今年の「少年たち~Born TOMORROW~」は、チケットが定価割れで譲渡されているという噂を聞いた。何故と思ったが、おそらく「三年目の演目」に飽きた人たちが手放すなどの行為に出ているのだろう。
わたしはこの事実に憤慨している。似たような演目だから、去年見たから、席が悪いから、「いいや」。そう思った人がどれくらいいたかはわからない。わからないけれど、まさにそれが「過去の戦争に興味を失う」という感覚に似て非なるものだと思うからだ。
同じ演目でも、出演者が同じでも、それを見たときに感じる感覚を「忘れない」「興味関心を失わない」ことが、戦争を知らない若い世代にできる戦争学習のひとつだというのに。それを自ずから放棄してしまうとは。
どうか見てあげて欲しい。席が悪くとも、似たような中身だとしても、舞台に立つ彼らが伝えたいことは何一つ色褪せていないはずだから。

これから大阪松竹座の公演と、地方公演が待っている。地方公演に選ばれた場所と順番は、かつて日本が空襲を受けた地とその日付順であるという。これがただの偶然と言えようか。
SixTONESとSnow Manによる三年目の「少年たち」。これを読んでくださった方が、また何かを考え直して「少年たち」を見ようと思うきっかけになってくれれば、幸いである。

 

 


…と、ここまででわたしが今年書きたかった「少年たち~Born TOMORROW~」に関する考察は終わりです。
大変、というか、Jail~とは比べようがないくらい長くなってしまいました。この挨拶まで読んでくれた画面の前のあなたには、感謝以外の言葉がありません、本当にありがとうございます。お礼に松村北斗くんのステフォをあげます。


たった一回しか見ることの出来なかった「少年たち~Born TOMORROW~」でしたが、やっぱりわたしは「少年たち」が好きだなあと実感することが出来ました。あの日勢いでPay-easyをキメたわたしを褒めたいです。

これから始まる大阪公演並びに地方公演の成功を祈って、〆させていただきたいと思います。
でも最後にどうしても書きたかった感想だけ書かせてください

 

ジェシーの軍服がマジで性癖

 

 

ありがとうございました~~~~!!!!!!!

 

 

パーフェクトアクアリーボーテを手に入れたゾ!

さて、みなさんに質問です

みなさんはパーフェクトアクアリーボーテをご存知でしょうか?

夜更かし族の方はもしかしたら知っているかもしれませんね?夜更かししてないでシンデレラタイム守ろうな!(大ブーメラン芸)

 

https://www.ntvshop.jp/shop/g/g210-a-x0002-01-0010/

 

直接通販ページに飛んじゃうんですけど、別にどこからもお金もらってないし、「ここから買って!」でもなく、単純に商品説明のページとして一番見やすいの引っ張ってきました

ありがとう日◯レ

 

アレです、超音波で毛穴の奥の汚れ掻き出したるで!

ってやつです。夜中のテレビでよく見るね。ほんまかいなってやつ。

わたし自身ずっと気になっていて、口コミ調べたり、ポシ◯レ通販ページを開いたり、うっかりカゴに入れてお届け先住所入力したりを、そりゃあもう幾度ともなく繰り返しました。何回繰り返したかは忘れました。

 

が、この間深夜のテンションに任せて買っちゃった。いえ〜〜い!!

人生何事もタイミングとノリが大事です、多分

 

商品代、送料、代引き手数料合わせて一万円ほど。なんかクソでかい美容液も付いてきたし、まぁいいかなって思ってます

通販の常套手段だってことはわかってても引っ掛かるよねぇ。おまけは弱い。

 

お風呂でいつも通りのメイク落とし〜洗顔を終え、小さなスプレーボトルにお水を用意して、鏡の前にパーフェクトアクアリーボーテを用意したら準備完了!いざ!戦じゃ〜〜〜〜!!!!川じゃあ〜〜〜〜〜〜!!!!!!

 

 

 

結論から言います

わたしの肌はクソ汚かった

 

 

正直番組が宣伝するほどの効果は期待してなかったんですよ。

だってそれなりにいいクレンジング使ってるし?

毎日シリコンパックして汗かいてるし?

洗顔ももっちもちの泡厳守してるし?

まぁ取れるって言っても…………

 

 

 

 

オイ嘘だろ!!!!!!!!!(右手のパーフェクトアクアリーボーテを見ながら)

 

 

 

番組が宣伝してるアレで概ね間違いはないです。ばっちりプレートの上に汚れが溜まります。溜まりました。

 

シュシュッとお水を吹きかけて、パーフェクトアクアリーボーテをするする滑らせると、こまかーーーく振動してる感じがわかります。

わぁ、振動してる!

と、感動したのも束の間。気が付けば銀色のプレートの淵には絶望的なほどの白い汚れの塊。嘘やん。

 

顔全体をやってみたのですが、やっぱり鼻周りが一番汚れが取れます。

このエントリ書きながらまだ鼻周りを周回してるのですが、まだまだ取れます。何回やれば綺麗になるのか分からなすぎて辞め時がわかりません。

 

ある程度溜まってはティッシュで拭き取り、また水を吹きかけてパーフェクトアクアリーボーテを滑らせ、ティッシュで拭き取り、水を吹きかけて以下略

を繰り返すこと数回。

なんでこんな取れるん…?という量の汚れが取れました。きったな…

 

 

(※まじ汚い話になるんですけど心して聞いてください)

 

 

ティッシュで拭き取った汚れ、よく見ると白くないんです。なんか黄色いんです。

…や、やばくないですか…?黄色っぽい…??黄色っぽい汚れがわたしの毛穴の奥に…???

と思うと、さっきまで肌の上を滑らせていたパーフェクトアクアリーボーテ並みに震えますね。コッッッッッッワ

 

この前別の記事で「肌のキメを見てもらった話」を書いたのですが、その時長年悩んでいた鼻の黒ずみ汚れが「皮脂や汚れなどが長年蓄積され、酸化したり紫外線の影響などで黒く変色したもの」と言われたことも書きました。多分さっき回収した黄色っぽい汚れたちが原因なのでしょうね。

あれが長いこと蓄積されると近い将来黒ずみ汚れとなる、つまりメラニン色素へと進化(…)を遂げるのでしょう。最悪。進化すんなや。

 

 

そんな黄色い汚れがどんどん取れ、取っても取っても出てくることに悲しさを感じ始めた頃、鏡をチラッと見て凄いことに気が付きました

 

アレ……毛穴どこ行った………????

 

 

 

アッ嘘だと思ったね嘘だと思ったでしょそこのあなた!

そんなことはないんだよ!

本当に毛穴が目立たなくなってるマジックなんだよ!

 

思うに、毛穴の奥に詰まっていた汚れが外に出たので、毛穴自体が引き締まったのかなと。

おそらく大物が潜んでいる毛穴は、まだバリクソ目立ってる感あるんですけど、その周辺の小さな毛穴はほんとに小さくなりました。

さてこれ信じられます?今日一回目だよ?凄くない?本当に会社からお金は貰ってないよ??

 

でもですね、これがほんとにすごいんですよ

毛穴はなんか見えなくなるし、その後の化粧水の染み込み速度半端なく違うし、こんなに違うんですか?!と、心の中のコスメカウンターに凸キメるくらいには驚きました。

 

 

毛穴で悩んでる方、多いんじゃないですか。

毛穴汚れ、ずーーーーっと詰めたままにすると、将来メラニン色素として黒く沈着しちゃうよ?毛穴の奥ですくすく育っちゃうよ?

いいの?よくないね? 絶対良くない!!すくすく育つのはかわいいチビジュたちだけでいいんです!!!!

 

一応イオンピーリングは「一週間に二、三回」って決められてるので毎日ピーリング機能は使いませんが、これからもマメにやります。

あとこれ、汚れを掻き出すピーリング機能だけではなく、細かいタッピングで化粧水や美容液の浸透を助けてくれる機能、リフトアップ機能なんかもついてます。タッピングの機能は毎日使ってみるよ。

化粧水も美容液も、何よりまず汚れが落ちていないことには使っても…ねぇ!意味が…ねぇ…!

 

というわけで感想という名の1クチコミでした。気になった人は買ってみてね。

 

 

生まれて初めてお肌のキメを見てもらった話

 

タイトルの通り、ちょっと機会があってお肌のキメを見ることのできる機械でウィーンと見てもらった話を中心にします。

あとみなさんお悩みであろう、鼻の黒ずみについても触れたいと思います。

 

 

事の始まりは、ネットで話題になっていたYSLの限定品のクチュールホログラムパウダーを買いに行ったことでした。

 

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「タッチアップして気に入ってしまったら買う!そうじゃなかったら買わない!(買わないとは言ってない)」な心持ちで行ったので、クチュールホログラムパウダーはほぼ確実に買うつもりで、地元の高◯屋へ。

店員さんに「何色(のアイシャドウ)に重ねますか?」と聞かれたので、いずれ重ねたい!と決めていた濃いめのパープル系でタッチアップをお願いしました。

 

もともと薄いパープルカラーが入っていた為、クチュールホログラムパウダーとパープルのアイシャドウ、パープルのペンシルライナーの相性はバツグン!

他の色やリップに重ねてもso cuteとのことでしたが、ここは担当色(紫)を攻める以外ない!と決めていたので、がっつりパープルでお願いしました。

 

その結果がこちらです

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だってメンカラをポイントカラーにしたメイク、したいじゃん?

オタクだから??

したいじゃん???

夏だし????

サマーパラダイスだし?????

(チケットはない)

 

そんなこんなでクチュールホログラムパウダーの購入は決めたものの、肝心のパープルのアイシャドウが手持ちにありません。

YSLで試してもらったお色が入ったパレットは12,000円(税抜)。。。。。。。。

公演一回とフォトセ全員分買えるじゃん。。。。。。。むり。。。。

 

ということで、クチュールホログラムパウダーを買って退散!憧れのタンクルドポーのテスター頂いて退散!

以前から探していた、パープルアイシャドウ探しの旅に出ることにしました。

 

薄いパープルやパステルカラー、青みの強い薄めのパープルがやたら多く、赤みの強いパープルはほぼ全部締め色で既に手元にあるヴィセのカラーとほぼ一緒。

わたしが欲しいのは、ビビットなパープル(※赤にも青にも寄っていない)なんだよー!と思いながら、見つけたアイシャドウを片っ端から試しました。

 

 一番最初にビビっと来たのは、エスティーローダーの単色シャドウ。色もいい。発色もいい。ただしフォトセ約五人分。はい、ナシ。

高くても二千円までで予算を組んでいたので、わりと即決でナシでした。

 

その後色々見てみるも、全然ピンとくるお色がなく。これは信仰しているアナスイ教で…と諦めかけたころ、マリークワントのショップが見えたので、ふらふら〜っと入りました。

 

「あれっ?!わたしが思っていたより色がある?!」

と、アイシャドウコーナーで釘付けになるわたし。声を掛けてくれたBAさんが10色くらいあるパープルシャドウの説明を丁寧にしてくださり、好みの一色を見つけることができました。

しかもお値段1,200円。うちわ2枚分!安い!迷う理由がない!

今まで探した苦労を思えば、色合い、発色、サイズ感、全て考慮しても1,200円は満足すぎるお値段でした。

 

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接客してくださったBAさんが、わりとずっとわたしのメイクに興味を示してくだすってたのはなんとなく感じてはいたのですが(こいつ引っ掛けて商品売ってやろう!その為に話聞いてやろう!みたいな感じはほんとになかったです。とても丁寧な接客で、わたしのこだわりや好みを聞きながら色々見せてくださいました。)

お話をしていたら「肌のキメを見られる機械があるのですが、もしお時間あれば試してみませんか?」と声を掛けていただいたので、せっかくだし見てもらおうかな!と思い、ドキドキしながらウィーンとしてもらって結果待ち。。。

 

頬の高いところと、フェイスラインの二箇所を見ますね、ということで、二箇所の結果を見せてもらいました。

すると、フェイスラインはしっかりと三角型の部屋が出来ており、キメが細かくいい状態だと言われました。

 

が!!しかし!!!

 

頬の高いところは、普段の冷房による乾燥、紫外線などの影響により、キメの形がかなり崩れ気味。

素人目にも「ウワッ」となるレベルでした。

(普段ファンデを塗る感じではその差異は感じられませんでした)

 

要は肌に必要な水分が足りてなかったんですね。頬の部分に。

 

「普段スキンケアはどのようなことをされていますか?」とBAさんに聞かれたので、

 

クレンジング

洗顔

ベンヌウォーター

アクアレーベル化粧水(たくさん)

毎日使えるパック(シリコンパックで蓋)

オールインワンゲル

 

のお手入れをここ一ヶ月徹底している、と素直にお話ししました。

その甲斐あってフェイスラインはキメが整っているのでしょうね、と、BAさん。

自分でも前よりは肌がつるつるで鼻の汚れも目立たなくなった気がする、とわたし。

ですが、それでは頬の部分は水分不足です!

 

で、オススメされたのがコレ。

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マジックライト サージオブリズム

血行促進とバリアゾーンを補強してくれる(=水分を貯めやすくする)パックです。

 

手の甲で試してもらっている間に肌の作りとメカニズムについて簡単な説明を受け、 しばらく放置した後綺麗にしてもらうと、あ〜〜らびっくり

トーンアップは勿論、今まで触ったことのないもちもち感。というより、ふっくら感。

 

「もしよければ、お顔でも試してみませんか?」と声を掛けていただき、すぐに首を縦に振りました。

 

ミルククレンジング

ふきとり

サージオブリズム

ふきとり

化粧水

乳液

 

で、お肌をしっかり整えていただき、いざ!触ってみると…

 

もう!肌が!ふっくら!もちっ!しっとり!

って感じでした。。。さいこう。。。

今までもいろんなパック(ピンからキリまで、汚れを落とすもの、補給するもの、スペシャルケア…など)を使ってきましたが、今回ほどのふっくら感は今までなかったです。

もちろんトーンアップも。気になる鼻の汚れもありません。

 

また、上の過程をこなす間、BAさんがいろんな場所を指の腹で確かめながら色々してくださいました。事前に気になると伝えていたTゾーンを中心に見てくださっていたようです。

 

その後はリキッドファンデを使ってお化粧していきますね〜ということで、お色を見てもらったり相談しながら仕上げていくことに。

 

アイクリーム

化粧下地

コントロールカラー(グリーン)

リキッドファンデーション

ルースフェイスパウダー(マット)

チーク、ハイライト

 

で、仕上げてくださいました。

仕上がり?

 

アレです、陶器肌です。さらっさらの陶器肌です。

イエベ秋なわたしですが色白ではあるので、ま〜〜あ綺麗な陶器肌に仕上げていただきましたよ。

こんなに綺麗な陶器肌、初めてです。

陶器肌だいすき

 

お化粧をすると肌のキメの線上にファンデーションがはいっていくので、当然キメが整っている方が綺麗にファンデーションも乗るし、仕上がりも綺麗になるんだそうです。

 

それから、ここ最近ずっと気になっていた鼻の黒ずみ汚れ!

BAさんがクレンジング〜仕上げの段階で細かくチェックして、最後にお話ししてくれた内容によると

 

・黒ずみは確かにあるが、触った感じのざらつきがない

・下地やコントロールカラーの段階で十分なカバーが出来ている

 

の条件を考慮した時、どうも洗顔やクレンジングで落ちる一般的な黒ずみ汚れではないことが判明(この時点で目から鱗)

長年蓄積された日焼けや、皮脂が少〜〜しずつ酸化して定着してしまった、所謂「メラニン色素」にあたる黒ずみだったことが判明したのです。

道理でクレンジングと洗顔、その後のケアを色々変えても根本からすっきり綺麗になりきらなかった訳です。

 

対策は、美白ケア商品やビタミンCを叩き込むべし、とのことでした。ビタミンCだいじ。

勿論水分補給にあたるケアもしっかり、と。

 

正直目から鱗がポロロンポロロンポロロロンって感じです。

化粧品や皮脂、外部からの汚れなどの表面的な原因だと思っていた黒ずみ汚れは実はそうではなくて、もっと奥に問題が潜んでいたのでした。

 

確かに最近スキンケアを色々変えてみたり、お風呂でしっかり発汗+シリコンパックで肌の毛穴を開いてから洗顔、を毎日実践していたので、随分肌は綺麗になりましたし、黒ずみ汚れも薄くはなっていました。

だけど!なぜか!いなくならない!黒ずみ!

原因がはっきりしてよかったです。これで対策のとり様もあるってもんです。

 

BAさんのお話によると、今年マリークワントは下地〜ルースフェイスパウダーまでがごっそりリニューアルしたらしいです。

特にルースフェイスパウダーはより粒子の細かいものになり、仕上げにはもってこい。強火マット担のわたしですが、艶タイプも試してみたくなりました。

 

それから、クレンジング〜ルースフェイスパウダーまで色々やっていただいている間に気になっていたので最後に聞いてみたのですが、とにかくマリークワントの商品は「化粧品っぽい」匂いがしない。

わたし自身は「化粧品っぽい」匂いがするものも好きなのですが、マリークワントはどれを使ってもらっても特徴的な匂いがありませんでした。

余計なものはなるべく入れず、いろんな肌質のお客様に使っていただけるように、とのこと。納得。

 

と、ここまで散々やってもらって、そもそもわたしが買ったのはアイカラー一色だけ。

正直ここまで色々やってもらえたの、すごくないですか?普通に30分以上色々してもらってます。フェイスマッサージとかもしてもらいました。

思えば、ハイライトの賢い入れ方を昔教えていただいたのもマリークワントのBAさんでした。なんだよ昔からお世話になってるじゃねぇか

 

サージオブリズムかフェイスパウダー、それからアイカラーで諦めた二色をいずれ買わせていただこう…と心に誓ってお店を後にしました。

最初から最後まですごく丁寧に接客してくださったBAさんに圧倒的感謝。

 

 

まるで回し者のようですが、ほんとにマリークワントおすすめです。お値段も他に比べたらお安めですし、クオリティは素晴らしい。

 

だって夕方四時頃塗ってもらったファンデーションとルースフェイスパウダー、夜12時になっても崩れなしでしたよ。

すごくないですか??

 

 

今回のお買い物が、特に丁寧ないいBAさんに当たったからだとは分かっています。

でも!だからこそ!

よかった商品の話は!したくなっちゃうじゃないですか!!

 

(実際、この前某世界的有名ブランドで口紅をタッチアップしてもらったとき、口紅塗るのは下手だわ、接客雑だわ…そのくせこっちが購入決めた瞬間にニコニコ手のひら返したような接客されてちょっとうんざりしたんです。口紅の色は最高に素敵だったけど、あんまりあのカウンターでお買い物したくないなぁとは思うようになってしまいました)

 

 

と、以上が初めて肌のキメを見てもらった話と、それによって判明したわたしの悩みポイントについてのお話でした。

みんな困ったことがあったらネットじゃなくて一度カウンターに駆け込もうね。クソ高いものが必ず肌に合うってことはないけど、何もわからず模索するよりは、なにかしらの指標を貰えるだけでもありがたいってもんです。

 

 

 

今日から死ぬ気で頬のケア、するぞー!

 オーーッ!!!

 

 

 

「少年たち Jail in the sky」を見て

 

最初に記しておきたいことがみっつほどあります。

ひとつ、このエントリは大変長いものになっています。(約8500字)
ふたつ、はてブエントリとは言えかなり論文チックな考察になっています。
みっつ、当たり前ですが「少年たち Jail in the sky」におけるネタバレを含みます。まだ見てないよ!見るんだから黙ってろ!という人は回れ右してください。

それでもよろしければ、どうぞお付き合いください。

(※自分の手元にある円盤ではないため、一度通して円盤を見ただけです。それ故セリフ等誤植や勘違いがあるかもしれません。ですが、ニュアンスとして齟齬が生まれないように気を付けて書いたつもりです。何かありましたらお気軽にご指摘ください)


まず、わたしがこの作品に触れようと思ったきっかけから話そうと思う。

「少年たち」という舞台を、ジュニアを中心に毎年やっているということは知っていた。知ってはいたが、その中身まで覗いて見ようとはしていなかった。
この時点でわたしの中にあった「少年たち」のイメージは「ジャニーズジュニアの子たちが毎年やるくらいなのだから、きっとキラキラしたステージングの舞台なのだろう」であり、偏見とまでは言わないが、それに近いものがあったことは表記しておきたい。

そんなとき友人の白ちゃんが「少年たち」について呟いているのをみて「おっ」と思った。彼女の呟きを読んだところ、どうもわたしがイメージしていた「キラキラした舞台」は、見当違いの予想であることは明確に分かり、すぐに「少年たち」について調べ始めた。
天井桟敷、寺山修二、萩原朔美。この単語に出くわした時、「あ、わたしはこの舞台を見なくてはいけない」と直感で感じた。

そう感じたと共に「なぜジャニーズというキラキラしたアイドル集団に天井桟敷が?」という疑問を抱いた。もう何年も自分がいる界隈に存在する文化と、まったく真逆の場所にいるジャニーズが、どうして「少年たち」で出くわしているのか。日陰と日向がどうして同じ場所にあるのか。大きな疑問だったのだ。

ざっくりとしたあらすじと、初回公演となったフォーリーブス主演の「少年たち―小さな抵抗―」に関するはてブのエントリ記事(http://sasagimame.hatenablog.com/entry/2015/12/08/205033)を読ませていただき、自分が舞台を見る時にどこに注目したいのかをある程度しぼってから円盤を見せてもらおうと決めた。

勿論初見の舞台映像なのでかな~りゆるい注目点でしかなく、別にここに表記するほどでもないが、

①作中における登場人物の在り方
②物語のテーマ性
③ジャニーズという日向の存在によって演じられる日陰の世界

辺りに目星をつけた。正直①と②は何を見る時でも前提に置いているので、特別変わったことではないが一応。

一番の目的は「日向と日陰」という感覚世界を自分がどう感じるのか、というところであった。

 

見せてもらったのは「少年たち Jail in the sky(2012年)」。

A.B.C-Zと現在のジャニーズWEST(※当時はデビュー前だが、このエントリを書く上では便宜上ジャニーズWESTと表記させていただきたい)が主演グループのものだった。
先にひとつ書かせてもらうとするならば、度肝を抜かれたということだろうか。

わたしが、というか世間一般の中にあるジャニーズ像を根底から覆されるような、こんな暗い舞台をまだまだ若いジャニーズの子たちにやらせてもいいのか?!というものが真っ先に来たことは最初に書いておきたい。
少年院内における友情、平和、夢をテーマにしたエンターテイメントショー(※某ペディア)だと?そんな生ぬるいものではない。たとえそれがどの年代の作品に共通している要素だとしても、この舞台における中枢部はもっと別のところにあるのではないだろうか。

事前に調べていたあらすじで、少年院での話ということまでは掴んでいたが、舞台を一本見た後に感じたテーマは三つ。

「正義と悪」
「善と悪」
「生と死」

この三本柱を中心に考察を進めていきたいと思う。



・『正義と悪』


A.B.C-ZジャニーズWEST(囚人組)それぞれの捕まった理由を整理したときに

A.B.C-Z
戸塚→自分をいじめていた奴を刺す
橋本→公務執行妨害(元暴走族の頭)
河合→業務上過失致死(漫才中に相方につっこみを入れたら死んでしまった。脳震盪か何か?)
五関→暴力を振るう父親を刺殺
塚田→空き巣

ジャニーズWEST
重岡→いじめ主犯格に対する復讐の為に放火をした弟の身代わり
桐山→バイク事故で死んだ親友の仇打ち
神山→夢を認めてもらえない父親との確執から家出をし、サラリーマンを半殺し(財布でも奪うためだったのか?それともただの鬱憤晴らしか?)
中間→病気の妹を救うためにサラ金へ殴り込み(両親の話が出てこないので、両親が元々追われていたのか、窃盗目的なのか)
藤井→マツタケ泥棒(友人が起こしたヤクザとの事故の示談金を稼ぐ為)

となっている。

やはり出演者が関西ジュニアということもあり、河合・藤井の逮捕理由が語られる際はコント調になっており、舞台全体で見たときにお笑い要素の強い休息ポイントである。
しかしここで注目したいところは、「どうして罪を犯したのか」という点だ。

A.B.C-Zが「自分の為・自分の管轄内の犯罪」であるのに対して、ジャニーズWESTは「大切な誰かの為の犯罪」であることが特徴だ。チームカラーが赤(A.B.C-Z)と青(ジャニーズWEST)に分かれているのも、余計に「自分の為」か「他者の為」という印象付けに働きかけたようにも思える。

(※五関に関しては、母親への暴力は日常的に見ていたがあくまで暴力を振るわれた瞬間に刺したので「自分の為」とする。また、父親を刺殺した際の母親の反応を考慮し、刺殺行為が本当に望まれていたものなのかは謎とする)
(※神山に関しては、「他者の為」ではないと捉える)

橋本・塚田・神山に代表するような法律に反した単純な悪による犯罪行為に対して、戸塚・五関(・重岡弟)に見られる特徴は「純粋な正義で裁くことの出来ない悪を更なる悪で征する」という『正義と悪』の構造が見える。どうにも出来なかった悪を悪で征した結果として少年院に入ったものの、少年院の中に存在する別の『正義と悪』に捻じ伏せられる構図がこの後登場するのも重要だ。

少年院内における法律とも言える濱田の存在は、果たして「正義」なのか「悪」なのか。
一見してみれば、娑婆でルール違反をした(=悪)囚人たちを囲い込む施設の管理人に当たる訳だから、囚人たちを「悪」と捉えるなら逆説的に濱田の存在は「正義」となるはずである。
しかしながらこの作品を見た人が濱田を正義の存在として認識することはないだろう。

なぜならば、濱田の行き過ぎた正義は最早「悪」でしかないからだ。
娑婆で罪を犯すことがイコールで「悪」となり裁かれる、ここまでは話を進めていく上で大前提の定義となる。

しかしながら少年院に入り更生と出所を目指す囚人たちの現状は「悪」ではない。それを征する濱田の「正義」は、「正義であるという世論の皮を被った悪にすぎない」と言えるだろう。絶対的な「正義」の立場の人間が極めて利己的な権力を振るった時、それは「正義」ではなくなる。
この構図こそ、看守長という絶対正義の存在にして絶対悪となった濱田の存在になるのである。

無論、それは最初の方の場面で「人間やと思うな」と言い放った台詞の端々に出ているだろう。更にラストシーンでは濱田の「悪」は加速し、囚人たちを自分の玩具にするための刑期延長に繋がる陰謀や、懲罰房での折檻に表れている。
絶対的正義の立場からあれこれ物を言うのは気持ちがいいし、絶対的正義の力を使って法律で裁かれた悪を自分の好きなように制圧するのはさぞ心地よかったであろう。
そんな感情が看守長濱田の「悪」を加速させた原因のひとつではないのかとわたしは考える。

つまりこの「正義と悪」を定義すると、「正義」とはどの人物から見た時もあくまで利己的な価値観における正しい判断であり、「悪」とは法律上裁かれるべき犯罪、並びに、行き過ぎた「正義」とする。

 


・『善と悪』


この作品内における「善」とは何か。戸塚の存在そのものである。

戸塚の逮捕理由は自分をいじめていた人間を刺したことによるものだが、その後の少年院内の生活においてはたして戸塚が誰かに害悪を与えたりする「悪」である瞬間がたった一度でもあっただろうか。
そもそもいじめられていた原因も、おそらく彼の役の特徴としてみられるアスペルガー症候群的な要素(これは完全な憶測なので、劇中で語られることはない)が原因であったのではないかと思われるので、最初から戸塚の存在すべてにおいて「悪」といったものは存在しないのではないかと考えられる。

ブランコの順番を河合に指導されたときも、ベンチに座ることの可否について塚田に指導された時も、桐山にご飯の一部を奪われ牛乳を押し付けられた時も、戸塚の返答はほぼすべてにおいて「ありがとうございます」で構成されている。反抗も抵抗も攻撃も存在しない。権力を振りかざすこともなければ、「正義と悪が云々」と語られることもない。
全てを受け入れ全てを肯定し、更には不特定多数ではない他人の為に脱獄を提案した後に自らが犠牲になる。「顔も知らない名前も分からない不特定多数の為」の自己犠牲と「特定の誰かの為」の自己犠牲の概念は全く以て別物である。後者の方が純度の高い「善」ではないだろうか。

更にこのテーマを持ち出した時、もう一人「善」の人物が浮き上がってくる。それが小瀧演じる新人看守だ。

最初こそ濱田に従って看守の立場を守っていた小瀧だが、話が進むにつれて徐々に濱田に対して疑念を抱くようになる。濱田のやっていることは正しいのか、それに従うことが正しいことなのか、少年院内において「正義」の立場を使って「悪」を制圧することが正しいことなのか。

大前提として掲げられていた、罪を悪とする図式に間違いはない。ではそれ以降の現状に疑問を抱いたのはほかに誰がいただろう。濱田の金魚の糞と化した安井(謙太郎)に見られるように、濱田の部下は全員濱田と同じ存在として考えるべきなのだが、たった一人だけ異色の存在として頭角を現すのが小瀧なのだ。折檻を迷ったり、濱田による刑期延長計画に疑問の声を挙げたりと、偏った「正義」を振りかざすことのない「善」として描かれている。

また、小瀧が看守を辞めると言い出す場面は「正義」の皮をかぶった「悪」に対する嫌悪感から来るものであると考えられるが、これ以上の看守による自己満足的な折檻を続けることに対しての罪悪感もあったのではないだろうか。

勿論、この「善と悪」というテーマにおいて比較対象となる「悪」は、少年院内における法律に守られた絶対的正義の存在、濱田を始めとする看守達のことである。

つまり「善と悪」を定義すると、「善」とはあくまで利己的ではない正しい行い、特定の誰かの為の自己犠牲的な概念となる。
(※この定義によって、重岡も「善」の存在にかなり近しいものになる)

このふたつの考察を並べてみると、わたしたちが普段生活している中で見聞きし感じる「正義と悪」と「善と悪」という、一見同じように見えるものも、この作品内においては一切別物として描かれていることが分かってもらえるだろう。

(※「悪」についてはニアイコール的な存在とする)


ではなぜ、看守長濱田の存在が「悪」と感じるように描かれているのか?
この構図の理由は「世の中の正義を振りかざしてくる不条理」の象徴ではないかと考えられる。法律で裁かれるべき罪を犯した彼らではあるが、そもそもなぜ罪を犯したのか、犯さねばならなかったのか。

世間一般(=正義の皮を被った悪)による加害行為(=イジメ等)に抵抗する為には、悪(=イジメ)を征する為の更なる悪(=イジメに対する制圧)が必要だった訳であるが、その結果少年院に入った彼らを待ち受けている構図は、皮肉なことに全く同じものである。それが以下だ。

看守長(=正義の皮を被った悪)による加害行為(=折檻等)に抵抗する為には、悪(=懲罰行為、無意味に延長される刑期)を征する為の更なる悪(=脱獄計画)が必要だったといえるだろう。

世間のはみ出し者となり少年院という特殊な場所に閉じ込められた少年たちではあるが、格子の中も格子の外も、世間と自分たちとの対立構図は似たようなものだ。この「少年院」という閉塞的な場所は、一見世間の不条理から叩き出された面だけを表現しているように見えるが、叩き出された外でも、少年たちは結局また不条理に苦しむのである。



・『生と死』

ある種青春群像劇的ともいえる「少年たち」ではあるが、このテーマを抜きにして話をすることは出来ないと思う。

それは、河合、五関(殺人)・神山、戸塚(殺人未遂)(・桐山(親友の死に対する報復))と、それぞれが少年院に入るきっかけになってしまった理由にいずれも「死」の存在を無視することができないからだ。
中間の妹もいつ死んでしまうか分からない危うい存在として描かれており、少年院の中に居る限りは全員が過剰な折檻による「死」の恐怖にさらされていることも挙げられる。

ここで全員が「死」への恐怖をどこかで抱えている一方、世間で受け入れてもらえることのなかった戸塚だけが「生」の喜びを感じているその違和感についてもここで一言触れておきたい。
はっきり言って、この環境下で前向きな「生」を捉えられる時点で他者との感覚が大きく異なっていることは言うまでもない。俯瞰で「少年たち」を見るこちらとしては、圧倒的な違和感そのものでしかないのだ。

しかし観客に最もインパクトを与えた「死」は、言うまでもない戸塚の死だ。脱獄計画も終盤、さああと一歩で全員脱獄できる、娑婆に戻れる!
そんな希望に満ち溢れた、今まで鬱屈としていた閉塞的な空間にやっと見えた大きな希望の光。少年たちも観客も目を輝かせたその瞬間に奪われるひとつの生命。希望によって際立った絶望感の遣る瀬無さが、この場面における悲しみを更に引き立たせると言っても過言ではないだろう。

果たして、戸塚の「死」は本当に誰かに生命を略奪されたものなのだろうか。
少年院の中で少年たちと過ごす更生生活に希望を見出していた戸塚が脱獄を計画したことが、結果として戸塚にとっての幸せであったかは疑問だ。塀の上に立つ場面でも「僕はここに残るよ」と言葉を残している。たとえその塀の中に一人で残ったとしても、彼が更生生活の中で築き上げた幸福は指の隙間から零れ落ちていくというのに。一人で残ったとて、今まで手にしていた幸福が残らないことは戸塚も解っていたはずだ。

それでも戸塚が脱獄計画を企てた理由はひとつしかない。「みんなが幸せになれるなら」。名前も顔も知らない誰かの役に立ちたいなどどいったものではなく、明確な誰かの為という自己犠牲による彼の行動が、彼の考えそのものなのだろう。

自分を受け入れてくれなかった外界に戻ることへの不安もあったかもしれない、咄嗟の判断で自分が犠牲にならなければ大切な仲間たちが脱獄に失敗してしまったかもしれない、もしかしたら、自分を初めて受け入れてくれた人たちと離れ離れになるくらいなら大事なこの場所で散ってしまいたいと思ったのかもしれない。戸塚の「死」においては、きっと明確なたったひとつの理由で話をまとめることは出来ないだろう。


では、いくつも挙げられた「死」に対しての考察と比較したとき、列挙できる「生」の話があるかどうかについてだ。
全体を通して見たときに、「生」のポイントは二つ存在すると考えられる。

一つ目は、少年院内において戸塚を通して見る人間関係の構築模様だ。
絶望の巣窟と思われた少年院の中で、戸塚は初めて「生きていることの楽しさ」を感じる。こうやって説明するとあまりに簡潔すぎるこの感覚ではあるが、この舞台における主人公ともとれる戸塚のこの感想こそ、「生」に対しての前向きな感情そのものでしかない。

二つ目は、脱獄してから少年院に全員が戻り、その後出所する場面だ。今までの場面演出で使われなかったような明るいライティングに象徴されるように、この場面はこれから描かれる未来への希望に満ち溢れている。
出所する少年たちと入れ替わりで入ってくる新たな「少年たち」はまさに絶望そのものだが、この場面の舞台上で「少年たち」は、希望と絶望が比較されるように置かれるのである。
ではどちらが明るいか、目立つか。言うまでもない、出所する少年たちだ。光は影を以てして光り輝き、影は光を以てして鬱屈さを増す。どうにも動かしようのないこの関係性で今際立つのは、光だ。「生」への希望だ。


しかしながらこの舞台において「生と死」のテーマ性は非常に重いものだと思うのだが、どう考えても比重が均等ではない。幕が切って落とされた時点から随分長い時間、わたしたち観客は「死」の絶望感の中に引きずり込まれて閉じ込められてしまうのだ。休憩時間かと思われた明るい河合と桐山のコントシーンですらも、最後に待っているのは相方の「死」である。あの場面における唐突な凍り付き方は不気味そのものだ。
なぜこの舞台はこんなにも暗いのか、絶望を孕んでいるのか、悲しみを湛えているのか。それはこの舞台上に圧倒的なまでに存在する「死」のイメージによるものだろう。



ここでリマインド的に、最初に掲げた三つの観点をもう一度並べる。

①作中における登場人物の在り方
②物語のテーマ性
③ジャニーズという日向の存在によって演じられる日陰の世界

この考察を書き始めたところで掲げた三つの疑問点の内①と②においては、わたしの出来る範囲で考察をした(とは言い切りたくはないが)と思う。では最後に、ほぼ感想のようなものだが書いておきたい、「ジャニーズという日向の存在によって演じられる日陰の世界」についてである。

「正義と悪」「善と悪」「生と死」と、三つのテーマを並べて考察をしてきたが、やはり最後に残る感想は「なぜジャニーズがこんなに暗い舞台を」という、なんとも遣る瀬無い気持ちである。

正直この舞台を(円盤とはいえ)一本見終わる頃には、わたしの気持ちはすっかり疲弊しきっていた。まだデビューしたて、もしくはデビューすらしていない若いジュニアを中心とした舞台にしては、あまりに暗く、遣る瀬無く、悲しすぎる。よくあんな若い齢でこんなに重い舞台を演じ切れるものだと感心した。
ましてやこの舞台は、普段うちわやペンライトを自分たちに向かって振られ、手の一つでもあげれば黄色い悲鳴が上がるようなアイドルがやるにはあまりにも馴染のないアンダーグラウンドな舞台だ(ここについてはわたしが言うまでもない、「少年たち」初回公演において天井桟敷が関係者名としてあがっている時点でお察しだ)。

こればかりはわたし自身における個人的な感覚の話になってしまうので何とも言えないが、これをアイドルが演じ、普段黄色い声で応援する若い女の子たちが観劇に行き、「かっこよかったね」と、それで終わってしまっていい舞台なのだろうか。これが「日向の存在によって演じられる日陰の世界」を見終わったあとの率直なわたしの感想だ。

はっきり言う。勿体ない。非常に勿体ない。


ジャニーズの舞台故に生で観劇に行くことはなかなか難しいことはわかっている(特に今年はSnow ManとSixSTONESの共演だし)。しかしこの舞台はもっと沢山の人の目に触れて欲しい舞台であるし、ただ「かっこよかったね」で終わらせてしまっていい舞台でもない。と、私は思う。
事実、ジャニーズやジュニアに興味がない友人に、この舞台の中身と自分のほんの少しばかりの考察を添えて話をしたところ、百発百中で「見てみたい」「なぜそんなアングラなテーマの舞台をジャニーズが」との返事を頂いている。ジャニーズだから、ジュニアだから。そんな理由で遠くに置かれる作品であっていいのだろうか。いや、絶対に良くない。

(※この考察を書くにあたって、ジャニー喜多川氏が事務所を立ち上げたきっかけなども読んだ。どうして彼が今でもこの作品の演出、ひいては他の舞台作品において演出を担当するかがわかる気がする。それだけ舞台に対する思いの強い人なんだと感じた)


頭の固い、非常に論文チックなエントリになってしまったことは重々承知である。それでもわたしが訴えたいことはひとつ。

この「少年たち」という舞台作品が、もっと多くの人の目に触れて欲しいということ。それだけだ。



いいから「少年たち」を見ろ!!!!話はそれからだ!!!!!!!!!



END